先日みつけた「光瀬龍未来史年表」に書かれている
美苑ふうさんのぶんしょうです。
美苑ふうとは、ヴェトナム戦争のビェンビェン・フウの戦いからとった、という話を、このときお聞きした覚えがあります。
今回、再発見して読ませていただいたところ
「光瀬龍」が読みたい!
と強烈な欲求が出て、まだファウンデーションがスタートしたばっかりなのに、ウズウズしているので、
皆さんもぜひ読んでみてください。
ご了解のとりようもなく、ここに採録させていただきます。
美苑さん ありがとうございます。
光瀬龍を理解する三つのカギ
-未来史年表に添えて-
光瀬龍。彼の作品にはしっぽに年号をつけたものが多い。
いわく「墓碑銘2007年」「宇宙救助隊2180年」「スーラ2291年」etc.。
このしっぽの年号が、実は彼特有の未来観に基づくものだと言うことに気づくのには、そんなに時間はかからない。そこで作製したのがこの年表である。この未来史は「アシモフの銀河帝国興亡史」「ハインラインの未来史年表」に比べることができよう。しかし、そこには、「タイム・マシンの発明」もなければ、「ナメクジ宇宙人の襲撃」もない。アシモフのように過去の歴史を未来を舞台に移し変えたものでもない。
現在の時点を冷静に見つめた上で、きわめて合理的に考え抜かれたものである。無理な要素が一つも入ってはいない。そしれ、何より我々日本人(アジア人)にとってうれしいことは、彼の未来において、AA諸国の占める役割の比重が非常に大きいことである。
彼によると、第3次世界大戦すなわち第1次統合戦争後、アジア同盟と全アフリカ連合が台頭し、23世紀の前半にアメリカ大陸の所属をめぐって、第2次統合戦争を繰り広げるとある。このような未来図は日本人であるからこそ考えられるものであろう衣、現在のAA諸国の未来における可能性を認め、信頼しているかのようである。
この彼のアジア中心ないしはAA諸国中心主義は、長編「百億の昼と、千億の夜」にも端的に表れている。
彼は、そこでヨーロッパのキリスト教会をヤリダマにあげ、ナザレの男イエスを悪玉にすえてしまった。これは彼のSFを一方で特徴付けるものである。こうした形で、アジア-ないしは東洋文化というものをひとつのテーゼとして打ち出している作家は彼ぐらいではないであろうか?
さて、光瀬SFを特徴付ける第二の特徴は、その歴史性である。私は個々に彼の未来史年表を作成したが、彼自身「SFを創る人々」の中で「SFを歴史小説のつもりで書いているのです」と言っている。こうした、遙か未来から、過去を歴史学者のような手法で振り返るというやり方は、外国のSFにも例がない。ついでだが彼の作品の冒頭ないしは終章にユイ・アフエングリ著「星間文明史」というのが出てくる。おそらくは、彼の未来史の遙か彼方に生きる歴史学者であろうか …このような手法は彼独自のものだ。光瀬龍自身「百億の昼と千億の夜」の後書きに、
「未来を舞台にした物語を作るという作業よりも、本当に私がしたいことは、遠い未来にあって昔を-つまり、今の私にとって近い未来を-思い出してみるということなのです。」と言っている。
そこで、彼の作品はいきおい叙事詩的雰囲気を持つこととなる。彼の作品はスペース・オペラではなく、すぺーす・サガなのだ。だからこそ、長編「たそがれに還る」第4章や「百億の昼と千億も夜」序章のように物語となんの関係もない雰囲気だけの科学的描写の章がいれられるのである。しかも、叙事詩は常に興亡盛衰の時間を扱っているものなのだ。
彼の作品のテーマ【時】を表す最も良い手法であろう。
人間が描けていないという人がいるかもしれない。たしかに、彼の作品に現れる人物は人伝臭さが少ない.特に女性においてそうである。私は光瀬龍の作品の中に悪女を見いだしたためしがない。彼の作品における女性像の一典型は、「たそがれに還る」のヒロ18であり、もう一つは「シンシア遊水池2450年」のレイ・ジョーヤである。前者は女性の姿をした電子頭脳であり、後者は男の後を 一途に追って我と我が身をサイボーグにまでする女である。男は…というといずれも宇宙開発に一身をなげ出して悔いのない男であり、仕事のためにはすべての私情を犠牲にする男である。そして、叙事詩のテーマは常に【時】なのである。
「たそがれに還る」第4章の中で、光瀬龍は「永遠に近い過去から永劫の未来にかけて流れてやむことのな衣時の流ればかり、その永劫の中で星々は爆発し、また消えていく。人々は70年の生涯のある時、ふと星々を見てその遠きを思う。永劫の中野70年がいったい何をいみあうるのか……」と述べている。
又、「百億の昼と千億の夜」の序章で「茫々たる時の流れは万象の上に呵責ない。その足取りの跡をとどめる。」とも言っている。これらが、彼のメイン・テーマだろう。彼の歴史性はそのまますスペース・サガにつながるのである。
さらに第三に私は彼の作品を流れるリリシズムについて述べたい。そこにおいては、彼の描く心象風景がきわめて絵画的に鮮やかに映し出される。短編でも「シンシア遊水池2450年」の冒頭の終わりにおける火星の夕映えの描写。「落陽2217年」の最後…ロケットが平原に倒れる数行の描写。「戦場2241年」における戦闘描写等々、いずれも絵画的な心象風景を鮮やかに描き出してみせる。そして又このような詩的な文章をこなすために、彼は日本語の特質を最大限に利用している。「カビリア4016年」における“とおつみおや…”等のひらがな使用、「百億の昼と千億の夜」におけるオリオナエの言葉のカタカナ使用、又「無の障壁」の冒頭における電文用の言葉等…。このように日本語を縦横に駆使することは、彼の場合ひとつのムードを生み出している。それがいわゆる「光瀬ブシ」であるといえる。
私の光瀬龍の作品についての観点は主にこの三つにしぼられる。
1.アジア中心的思考法
2.叙事詩性
3.絵画的リリシズム
それに咥えるならミステリー性も付け加えられよう。これに含まれる作品群は「シンシア遊水池2450年」「勇者還る」「巡視船2205年」「パイロットファーム2029年」等であろう。より遠い未来から…過去を振り返って…という形で書かれた物語の場合、その結末に意外性を持っている方が小説技法としてはより高度でより面白い。「シンシア遊水池2450年」「勇者還る」等ハードボイルド・ミステリーとしてもすぐれているといえよう。
このように分析してみると、彼の作品を観る場合、その小説の完成度を云々することよりも、「詩」として、「叙事詩」として受け取った方が良いのではないかという気がしてくる。だから、彼の文章にいやみを感じる人は「詩」を…彼の「詩」を読み論ずる資格がないともいえる。
美苑ふうさんのぶんしょうです。
美苑ふうとは、ヴェトナム戦争のビェンビェン・フウの戦いからとった、という話を、このときお聞きした覚えがあります。
今回、再発見して読ませていただいたところ
「光瀬龍」が読みたい!
と強烈な欲求が出て、まだファウンデーションがスタートしたばっかりなのに、ウズウズしているので、
皆さんもぜひ読んでみてください。
ご了解のとりようもなく、ここに採録させていただきます。
美苑さん ありがとうございます。
光瀬龍を理解する三つのカギ
-未来史年表に添えて-
光瀬龍。彼の作品にはしっぽに年号をつけたものが多い。
いわく「墓碑銘2007年」「宇宙救助隊2180年」「スーラ2291年」etc.。
このしっぽの年号が、実は彼特有の未来観に基づくものだと言うことに気づくのには、そんなに時間はかからない。そこで作製したのがこの年表である。この未来史は「アシモフの銀河帝国興亡史」「ハインラインの未来史年表」に比べることができよう。しかし、そこには、「タイム・マシンの発明」もなければ、「ナメクジ宇宙人の襲撃」もない。アシモフのように過去の歴史を未来を舞台に移し変えたものでもない。
現在の時点を冷静に見つめた上で、きわめて合理的に考え抜かれたものである。無理な要素が一つも入ってはいない。そしれ、何より我々日本人(アジア人)にとってうれしいことは、彼の未来において、AA諸国の占める役割の比重が非常に大きいことである。
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彼によると、第3次世界大戦すなわち第1次統合戦争後、アジア同盟と全アフリカ連合が台頭し、23世紀の前半にアメリカ大陸の所属をめぐって、第2次統合戦争を繰り広げるとある。このような未来図は日本人であるからこそ考えられるものであろう衣、現在のAA諸国の未来における可能性を認め、信頼しているかのようである。
この彼のアジア中心ないしはAA諸国中心主義は、長編「百億の昼と、千億の夜」にも端的に表れている。
彼は、そこでヨーロッパのキリスト教会をヤリダマにあげ、ナザレの男イエスを悪玉にすえてしまった。これは彼のSFを一方で特徴付けるものである。こうした形で、アジア-ないしは東洋文化というものをひとつのテーゼとして打ち出している作家は彼ぐらいではないであろうか?
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さて、光瀬SFを特徴付ける第二の特徴は、その歴史性である。私は個々に彼の未来史年表を作成したが、彼自身「SFを創る人々」の中で「SFを歴史小説のつもりで書いているのです」と言っている。こうした、遙か未来から、過去を歴史学者のような手法で振り返るというやり方は、外国のSFにも例がない。ついでだが彼の作品の冒頭ないしは終章にユイ・アフエングリ著「星間文明史」というのが出てくる。おそらくは、彼の未来史の遙か彼方に生きる歴史学者であろうか …このような手法は彼独自のものだ。光瀬龍自身「百億の昼と千億の夜」の後書きに、
「未来を舞台にした物語を作るという作業よりも、本当に私がしたいことは、遠い未来にあって昔を-つまり、今の私にとって近い未来を-思い出してみるということなのです。」と言っている。
そこで、彼の作品はいきおい叙事詩的雰囲気を持つこととなる。彼の作品はスペース・オペラではなく、すぺーす・サガなのだ。だからこそ、長編「たそがれに還る」第4章や「百億の昼と千億も夜」序章のように物語となんの関係もない雰囲気だけの科学的描写の章がいれられるのである。しかも、叙事詩は常に興亡盛衰の時間を扱っているものなのだ。
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人間が描けていないという人がいるかもしれない。たしかに、彼の作品に現れる人物は人伝臭さが少ない.特に女性においてそうである。私は光瀬龍の作品の中に悪女を見いだしたためしがない。彼の作品における女性像の一典型は、「たそがれに還る」のヒロ18であり、もう一つは「シンシア遊水池2450年」のレイ・ジョーヤである。前者は女性の姿をした電子頭脳であり、後者は男の後を 一途に追って我と我が身をサイボーグにまでする女である。男は…というといずれも宇宙開発に一身をなげ出して悔いのない男であり、仕事のためにはすべての私情を犠牲にする男である。そして、叙事詩のテーマは常に【時】なのである。
「たそがれに還る」第4章の中で、光瀬龍は「永遠に近い過去から永劫の未来にかけて流れてやむことのな衣時の流ればかり、その永劫の中で星々は爆発し、また消えていく。人々は70年の生涯のある時、ふと星々を見てその遠きを思う。永劫の中野70年がいったい何をいみあうるのか……」と述べている。
又、「百億の昼と千億の夜」の序章で「茫々たる時の流れは万象の上に呵責ない。その足取りの跡をとどめる。」とも言っている。これらが、彼のメイン・テーマだろう。彼の歴史性はそのまますスペース・サガにつながるのである。
さらに第三に私は彼の作品を流れるリリシズムについて述べたい。そこにおいては、彼の描く心象風景がきわめて絵画的に鮮やかに映し出される。短編でも「シンシア遊水池2450年」の冒頭の終わりにおける火星の夕映えの描写。「落陽2217年」の最後…ロケットが平原に倒れる数行の描写。「戦場2241年」における戦闘描写等々、いずれも絵画的な心象風景を鮮やかに描き出してみせる。そして又このような詩的な文章をこなすために、彼は日本語の特質を最大限に利用している。「カビリア4016年」における“とおつみおや…”等のひらがな使用、「百億の昼と千億の夜」におけるオリオナエの言葉のカタカナ使用、又「無の障壁」の冒頭における電文用の言葉等…。このように日本語を縦横に駆使することは、彼の場合ひとつのムードを生み出している。それがいわゆる「光瀬ブシ」であるといえる。
私の光瀬龍の作品についての観点は主にこの三つにしぼられる。
1.アジア中心的思考法
2.叙事詩性
3.絵画的リリシズム
それに咥えるならミステリー性も付け加えられよう。これに含まれる作品群は「シンシア遊水池2450年」「勇者還る」「巡視船2205年」「パイロットファーム2029年」等であろう。より遠い未来から…過去を振り返って…という形で書かれた物語の場合、その結末に意外性を持っている方が小説技法としてはより高度でより面白い。「シンシア遊水池2450年」「勇者還る」等ハードボイルド・ミステリーとしてもすぐれているといえよう。
このように分析してみると、彼の作品を観る場合、その小説の完成度を云々することよりも、「詩」として、「叙事詩」として受け取った方が良いのではないかという気がしてくる。だから、彼の文章にいやみを感じる人は「詩」を…彼の「詩」を読み論ずる資格がないともいえる。
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