バーナード・マラマッド『レンブラントの帽子』(夏葉社)の三編のうち、最後の一編。『わが子に、殺される』は、文章が変わっていた。
大学は出たけれど働かず引きこもり状態の息子と、息子が気掛かり過ぎて仕事を休んでまで監視してしまう父親の、ある1日を描く。
小説って、神の視点と言われる第三者目線か、登場人物の誰かから語られる一人称であるのが定石だと思うし、それでないと読みづらい。語り手が変わるとしても章ごとや場面ごとだったりして、そういう視点を変えながら進む話はわりと好き。
しかしこれは、語り手の視点が父親と息子で文節ごとくらいに変わり、第三者的な視点も入るので最初すごく読みづらく戸惑ってしまった。カギ括弧がないのでセリフなのかモノローグなのかもはっきりしない。
ただ、こういうものだと認識を定めると、逆に舞台の掛け合いみたいな緊迫感がどんどん増していく気がして感嘆した。
私は親の立場なのでどうしても父親の困惑や哀しみに共感してしまう。
ーーハリィ、どう言ったらいいのかな。でも、人生なんて決して楽なもんじゃないんだよ。 それだけしか、わしには言えない。
という言葉にはぐっと胸が詰まる。
一方で息子の、思うような仕事が無いなら働きたくないというのも現代の若者らしい苦悩だろう。そして、どうやら息子は徴兵局に手紙を書いており、いっそ兵役につくことを考えている不穏な様子もうかがえる。
自分ではどうにも出来ない人生のやるせなさが幾重にも重なり、寂寥感と緊迫感を湛えた短編だった。
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