高度成長の達成って、「日本人がとにかく頑張って働いた!」という認識しかなかったのですが、そんな単純なことじゃなかったのねと。そしてそれはもう日本という国に二度と訪れない一度きりのチャンスだったのね、と「なんとなく」ではなく理屈で分かり、残念でもありました。
以下、メモ。
戦後の急激な復興と「日本の奇跡」といわれた経済成長は、様々な幸運により持てるポテンシャルを発揮したことで実現できたそうです。
・アメリカの思惑→東西冷戦の深刻化と、戦前に行った日本への投資を回収したいアメリカ資本家の支援
・基幹産業を重工業(自動車産業)と選択した通産省の決断、徹底した保護貿易で国産車製造。
・兵器開発のために育成していたエリート学生たち→自動車や家電、造船に欠かせないエンジニアに。
・大蔵省官僚の下村治による「高度成長理論」を採用した池田勇人内閣が、民間の設備投資を促す大減税などを行った。
・1965年から「人口ボーナス」で、働く世代がきわめて多い国になったこと。子供も年寄りも少ないため、働く世代の負担が少なく、貯蓄や消費に回せた。これは途上国が先進国に至る時一度だけ起こる現象。
などが挙げられるそうです。そして、五木寛之さん(82)の言葉が心に止まりました。
「(総理大臣の)池田さんは『所得倍増』といい、政治生命をかけた。相当無理して国民の実質賃金を上げたと思う。実質賃金が上がるってことは、企業の利益をある程度圧縮しなきゃいけないんです。つまり労働者にたくさん払って、会社の儲けや剰余金を積み立てたりしないで、苦しくても頑張って行こうと。そこには、『働く人たちの方が大事だ』という健全なモラルがあったと思う」
健全なモラル、現代ニッポンの多くの企業に考えて頂きたいものです。
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