☆これから、少しずつ『論語』について感想を書いていきたいと思います。素人の解釈ですが、興味のある方はお読みくだされば幸いです。
☆見出し画像は、東京の湯島聖堂のところにある孔子像です。
☆第1回目は、「 過ちて改めざる、是を過ちと謂ふ。(あやまちてあらためざる、これをあやまちという。)」であります。〈人が過ちをおかしたときに、それを改めないのを本当の過ちというのだ。〉という意味でしょう。
☆これにはその前に、〈子曰く(しいわく)〉というのがあります。先生がおっしゃったことには、という意味ですが、この先生というのは、孔子のことです。
☆私は、この言葉が大変気に入っているのですが、それはどうしてかというと、ここで孔子が言っているのは、人は過ちをおかすものだという考えが前提にあるからです。過ちをおかすのは仕方がない、それを改めないのが本当の過ちなのだということでありましょう。この言葉が今なお多くの人々に感銘を与えるのは、過ちをおかしたことにくよくよせずに、頑張れと言われているように思うからでありましょう。
☆そして、孔子自身もまた過ちをおかしつつそれを認めて克服していった人ではないかと思うのです。
☆また、孔子の有力なお弟子さんであった子夏(しか)というひとは、「小人の過つや必ず文る。(しょうじんのあやまつやかならずかざる。)」と言っています。〈未熟な人は過ちをおかしたときにきっと飾り立てて言い訳をする。〉