いま、タクシー乗務員になろうとする人に対する地理試験の廃止が話題になっている。
じつは今回、地理試験の実態を、かなり詳しく知ることができた。そもそもこの「試験」、我々が一般的にイメージするものとはだいぶ違っているようなのである。さらに話題の「ライドシェア」についても触れる。
【注】本稿は2023年10月31日に投稿したものです。2024年春、東京事業区域の地理試験は廃止されています。また2種免許を持っていなくとも、いわゆる「日本版ライドシェア」等、法的に許容される場合においては、2種免許を持たない運転者による有償運送が認められるようになっています。
INDEX
- 2種免許だけではタクシー乗務員になれない
- 東京のタクシーは職人芸?
- 意外と難しいタクシーの地理試験
- どうすれば合格できるのか
- ライドシェアとIT業界のもくろみ
- ナビさえあればOKか?
- さいごに
2種免許だけではタクシー乗務員になれない
現在の法律では、日本国内においてバスやタクシーを営業運転するには、「第二種運転免許」の取得が必要である。
見ず知らずの他人を乗せて走り、そのことによって金をとるわけだから、「一般人とは異なるレベルの技能や知識が証明されていなければならない」という考え方であり、スジの通った考え方だ(人を乗せずに「回送」するだけなら一種免許だけでOK)。
ちなみに二種免許を持たない人が運転して対価を得ることは「白タク」あるいは「白タク営業」などといって違法行為となる。営業用自動車のナンバープレートの地の色である青(正確には深緑色)に対し、自家用車のそれが白だかららしい(最近は外枠だけが深緑色の、やや判別しにくい営業用ナンバープレートも増えてきている)。
そういえば、子どもたちの部活などで父兄が送迎をやり、ちょっとしたお礼(現金等)を受け取るようなことは実際に見聞きする。こういった事例の場合、それが「反復・継続」していなければ、白タク営業としての違法性は問われない。
さて、二種免許を取得したからといって、すぐに客を乗せて営業運転できるわけではない。
バス・タクシーの事業者やその業界団体が行う研修や訓練を受けたり、各種試験の合格が要求されたりすることがほとんどのようだ(筆者はここで、何らの安全研修もせずに大型観光バスを運転させ、悲惨な結果を招いてしまった2016年(平成28年)のスキーバス事故を思い出してしまう)。
東京のタクシーの場合、公益財団法人東京タクシーセンターという業界団体が、管轄地域に属するタクシー会社の乗務員や、個人タクシー事業者に対して、資格認証を行っている。その認定証にあたるものが、助手席の前に掲示されている運転者証である(個人タクシーの場合は「事業者乗務証」)。
東京タクシーセンターは以前、東京タクシー近代化センターと名乗っていた。
いかにもレベルやモラルの低い業界を改善していこうとするようなネーミングだが、最近では身障者の気持ちを実体験させる研修をしたり、英会話の研修をしたりと、昭和の時代とは隔世の感があるようだ(空港の国際線タクシープールに入構するには英会話の資格が要るのだとか)。
その東京タクシーセンターは、業界内では「タクセン」と呼ばれているらしいが、ここで行われている地理試験に合格できなければ、たとえ2種免許を持っていても東京においてタクシー営業はできない(運転者証を作ってもらえない)。
いきなり車に乗り込んできて「見附(みつけ)の田町通りに入ってって」とか、ただ一言「〇〇ビル」などといった言われ方をされるこの仕事で、地理不案内であっては支障がある。そこで地理試験がもうけられているというわけだ。
東京のタクシーは職人芸?
筆者は最近、その地理試験の問題を入手した。
こういうとなにか、マスメディアの記者が極秘ルートでも使って秘密裏に入手したような雰囲気を感じるかもしれないが、じつのところ困難なものではなかった。
筆者はまず、その試験問題を見て驚いた。非常に難しい。
ふだん営業や配達などで都内を走り回っていて、「東京の地理についちゃぁ、ちょっとしたもんだゼ」と自認している人でも、合格するのは容易なことではないレベルなのだ。
そもそも東京事業区域(正確には「特別区・武三交通圏」)は非常に面積が広く、約655平方キロメートルにもおよぶ。名古屋市の2倍を上回っており、23区だけでも淡路島より広い。
「ひとことで東京って言ったって、金町(かなまち)の先から六郷土手(ろくごうどて)まで、ぜんぶ詳しい運転手なんてお客さん、いるわけないよ」という乗務員もいる。
そんな東京には、一般道や有料道(首都高など)が、江戸時代の「家康マジック」とでもいう道路設計に従うように張り巡らされており、かつ様々な建物や施設が密集している。
さらにこれらが、ものすごいスピードで壊されたり造られたりしている。
「永遠に完成しない都市、それが東京だ」という言葉も聞いたことがあるが、そんな首都東京を走るタクシー乗務員は、周辺の千葉・埼玉・神奈川の乗務員たちからも一目置かれるという。
東京は、海外や地方からやってくる人も多く、ピンポイントの施設名称しか言えない客も多い。
また、1万円、2万円という距離をタクシー移動する客が決してめずらしくないため、そんな遠いところの地理も、ある程度は理解しておかなければならない。
こういった事情から、東京のタクシー乗務員になるためには地理試験があり、これが難しくなってしまうのも無理のないことかもしれない。
しかしカーナビなどのテクノロジーが発達した現在、そして乗務員不足が問題となっている現在、この地理試験の廃止が検討されているのである。
意外と難しいタクシーの地理試験
それでは、実際にその地理試験問題を見ていただこう。
以下のとおり全部で5問の構成となっている。手に入れた試験問題をもとに、構成や主旨を変えずに、ブログとしてわかりやすいよう筆者が少し手を加えている。
地図帳やグーグルマップなどを使いながら、できればチャレンジしていただきたい。即答できなければ、暴言を吐くような客すらいる仕事の試験である。
【問題1】
次の幹線道路名および交差点名を、別紙の幹線道路・交差点図の中からさがし、その番号または記号を解答用紙に記入しなさい(筆者注:地図上で素早く指し示していただきたい)。
- 内堀通り
- 世田谷通り
- 東八道路
- 春日通り
- 柴又街道
- 尾竹橋通り
- 多摩堤通り
- 六本木通り
- 武蔵境通り
- 丸八通り
- 上高井戸一丁目交差点
- 飯倉交差点
- 大関横丁交差点
- 西新橋交差点
- 上馬交差点
【問題2】
次の施設等を、別紙の施設関連図の中からさがし、その番号を解答用紙に記入しなさい(筆者注:地図上で素早く指し示していただきたい)。
- 三井記念病院
- テレビ朝日
- 六義園
- 東京大神宮
- 法政大学
- ウェスティンホテル東京
- 三井物産本社
- 東京出入国在留管理局
- 明治座
- とげぬき地蔵尊
【問題3】
次の二つの幹線道路が交わる交差点名を下記の回答群の中から選び、その記号を解答用紙に記入しなさい(筆者注:関係のない交差点名が2つ追加されている)。
- 早稲田通り×環七通り
- 尾竹橋通り×明治通り
- 外堀通り×白山通り
- 目黒通り×自由通り
- 四ツ目通り×蔵前橋通り
- 中根
- 宮地
- 菊川駅前
- 水道橋
- 太平四丁目
- 神保町
- 大和陸橋
【問題4】
次の乗車地から降車地までの、最短経路で経由する交差点名を下記回答群の中から順番に選び、その記号を解答用紙に記入しなさい(筆者注:関係のない交差点名が2つ追加されている)。
- 乗車地:浅草寺
- (1)
- (2)
- (3)
- 日比谷
- (4)
- (5)
- 降車地:ザ・リッツ・カールトン東京
- 新常盤橋
- 国会前
- 厩橋
- 六本木二丁目
- 言問橋西詰
- 四谷見附
- 浅草橋
【問題5】
次の幹線道路の近くにある駅と、その駅の付近にある施設・建物等をそれぞれ関連づけて選び、その記号を解答用紙に記入しなさい。
- 大久保通り
- 日比谷通り
- 環七通り
- 明治通り
- 中央通り
- 御成門駅
- 北参道駅
- 飯田橋駅
- 京橋駅
- 葛西駅
- JCHO東京新宿メディカルセンター
- 地下鉄博物館
- 愛宕警察署
- 警察博物館
- 国立能楽堂
どうすれば合格できるのか
試験はいかがだっただろう。正直に言って、考える気にもならないほど難しかったのではないだろうか。
100点満点で80点以上をとることが出来なければ、何度でも地理試験を受けるしかないのだそうだ。
さて、この5問構成の地理試験は5~6パターンあって、そのどれかひとつが試験当日に出題されるのだという。
ということは、全パターンを事前に知ることが出来れば、その範囲だけを必死に勉強するか暗記できれば、合格の可能性が高くなる。
そしてその全パターンは事実上、事前にタクシー会社が入手しているのだという(あるいは受験者から得た情報を蓄積している)。
つまり試験とはいっても出題範囲は明確に決められており、ほとんどの人は2~3回までに合格できるという。
こういった実態は、厳密にいえば「試験問題の漏洩」ということになるのかもしれないが、もし試験のたびに問題を新規に作成していたら膨大なコストがかかってしまうし、そこまでやってもあまり現実的な意味はない。
東京の地理を学習させるという、教育目的にウェイトが置かれた「試験」と考えるのが妥当だろう。
ライドシェアとIT業界のもくろみ
東京に限らず全国各地でタクシーが不足しがちであるという。それはタクシーを運転する乗務員が減ってきているからだ。
もともと団塊世代の大量退職が続いていたところへ、新型コロナウイルスによってタクシー需要が激減し、生活できなくなった働き盛りの乗務員たちが多く転職してしまったためだ。
東京の都心部ではこれまで、大通りに出て数分も待てば空車のタクシーをキャッチできたが、いまでは東京駅のタクシー乗り場でさえ、タクシープールに1台もおらず、利用者の列が延々とつながっていることがめずらしくない。
業界ではスマホアプリを利用した配車サービスを展開しているが、そもそもリソース(稼働中のタクシー台数)が絶対的に少ないわけだから、新たに注文手段を増やしたところで解決にはならない。
それは単に、優先的に配車させることに対して追加料金を取るような、新しい手数料商売が増えただけに過ぎない。
悪天候時や週末の繁華街などでは、アプリを使おうがタクシー会社へ電話しようが、タクシーを確保できないことはざらだ。
うまく確保できたとしても、比較的遠方から「迎車」で走ってくるため、待ち時間もそれなりにかかるという。
そこで言われ始めたのが、「ライドシェア」や「地理試験の廃止」だったのである。
いま日本で言われている「ライドシェア」という言葉は、バスのように他人と相乗りするという意味ではない。2種免許を持たない一般人が、自家用車を使用してタクシー業務を行う、ということである。
平たく言えば、「その辺の素人ドライバーに金を払って乗せてもらう」ということだ。運転技術、接客、それこそ地理の知識など、ちょっと考えただけでもいろんなことが気になってしまう。
ただこういったしくみは、アメリカをはじめ海外ではめずらしくない。
代表的なUberをはじめ、いくつかのシステムが実際に利用されているし、筆者自身もハワイで利用経験がある(現地の友人が手配してくれて同乗)。
車内で金銭授受などの決済はなく、降車後に運転手と利用客は、相互に相手を評価する仕組みとなっている。
この評価は、その後の配車要請の際にお互いのスマートフォンに表示(公開)されるため、よろしくない運転手だけでなく、よろしくない利用客もふくめて自然淘汰されていくはず、という考え方で一定の安全を保っているのだという。
このしくみは確かに、現在のタクシー不足を解消する切り札のようにも見える。
しかし、車両のメンテ状態や運転者の健康状態、万一の事故の際の取り扱いなど、まだまだ不安は残る。
ちなみに現在の法人タクシー乗務員は、出勤時と退勤時の2度、アルコールチェックの機械で検査を行っている。そのデジタル表示が0.000mg/Lとならない場合は一定期間の乗務停止など厳しい処分になるという。
警察が取り締まる際の「酒気帯び運転」は、呼気1リットル中のアルコール濃度が0.15 mg以上だから、タクシー乗務員に対する基準はかなり厳しい。なんと「あんぱん」を食べたり健康ドリンクを飲んだりしただけでも検出されてしまい、飲酒によるものかどうか判定できないため、乗務停止(または休憩後に再度計測して遅延出庫)となる厳格さなのだという。
かつて日本国内で旅客機のパイロットが、飲酒によるアルコール影響下で、搭乗客を乗せてフライトしていたことがあったと記憶しているが、いったい航空業界では、タクシーより甘いレギュレーションで運航されているのだろうか。
話を戻すと、ライドシェアは「海外ならまだしも日本国内において、どれほど利用されるのか」といった意見もある。
筆者は個人的に、日本人は製品やサービスに対する期待値が、諸外国に比べて非常に高いと感じている。つまり、タクシーやタクシー乗務員に対して求めるものが大きい。だから、仮に「ライドシェア解禁」となったとしても、従来のタクシー会社のタクシーと併存するのではないかと思っている。
「早く来てくれて運賃も多少安いかもしれないけど、一般人の自家用車に乗せてもらうのはイヤ」という日本人は少なくない気がするのだ。
ところで、ここでひとつ言えることがある。
新しい仕組みが出来れば、その仕組みを支える者、すなわちプラットフォーマーが大きな影響力・発言力を持つことになる、ということだ。
つい先ごろグーグル社に対して公正取引委員会が独占禁止法違反容疑での審査を始めたけれど、ここ数年IT業界の一部がタクシーを(モビリティ業界を)、新たな草刈場として手を出し始めていることは明らかだ。
配車アプリの普及にとどまらず、「ライドシェア」が法的に解禁されれば、グッと市場は広がるし、手数料商売の拡大はもちろん、そこで得られるビッグデータをもとに、新たな事業展開への視野も開けてくる。
たとえばタクシーが走行している地域によって、車内広告を自動切替する技術はすでに確立している。下町地域では健康ドリンクや飲食チェーンの広告を、富裕層が多く住む地域では不動産や金融商品の広告を表示することができるという。
ここに食い込もうとしているIT業界関係者はいま、関係する国会議員などを通じてさかんに活動をしているという。
ナビさえあればOKか?
地理試験の廃止に関しては、カーナビの発達・普及が大きな理由になっている。
先述の東京タクシーセンターでは、「タクシーには発行後2~3年以内の東京の道路地図を備えておかねばならない」という規則を設けているそうだ。しかし実際のところこの規則は、ほとんど意味をなしていない。
もちろんカーナビがあれば、地図帳がなくとも業務に支障はないと考えられるからである。
ではカーナビさえあれば、地理試験も地図帳も不要と言い切れるのか。
筆者は、「困ることはほとんどないが、地理的な全体感を持った乗務員はいなくなっていくかも」と思っている。
たしかにカーナビがあれば、住所で検索したり、施設名などで検索できたりする。最短距離も表示されるし、有料道路を経由した時間優先ルートを表示したりもできる。それゆえ「地理試験を廃止しようが、一般人の運転だろうが、問題ないではないか」という意見につながっている。
しかし、タクシーの(特に日本の)利用者というのは、いつでもキチンと行先の住所や施設名を説明できるとは限らない。
「なんか神田の方に有名な蕎麦屋があるらしいじゃない。そこ連れてってよ」
たとえばそんなパターンである。カーナビでしか仕事ができない乗務員の場合、「は?」ということになる。
チャチャッと調べてスタートできなければ、クレームにさえ発展することもあるという(ムチャクチャだ)。
「それでも最近のカーナビなら検索できないこともないだろ?」という意見は現実的ではない。
じつはタクシーが装備しているカーナビは、一般人が自家用車に取り付けているような高級なものではない。非常に低コストなハードウェア(たとえば中国製Androidタブレット)に、各ベンダー独自の「作り込み」しまくりのソフトウェアが搭載され、携帯電話回線を通じて最低限のデータ通信を行いながら動作させる、比較的陳腐なシステムでしかない。
業務システムに詳しい方ならすぐに理解できるだろうが、システムという意味では安定性・信頼性・機能性が格段に低いのがタクシーのカーナビなのである。
仮にコストを度外視して高級なカーナビを装備したとしても、状況に応じて乗務員が多機能カーナビを使いこなせるかどうかは、また別の問題である。
笑い話のようだが、自分の行き先がわからないまま乗ってくる客もいるらしい。特に女性に多いという(失礼!)。
「なんとなく、こんな感じの町だった」というイメージだけを頼りに乗ってきたり、知人などに「○○の△△」って運転手に言えばわかるよ、などと言われて乗ってきたりする客がいるのである。
イメージだけで乗ってくる客の場合は、だいたいの「あたり」をつけて近隣まで進み、探しながら走ることになる。ただ、「○○の△△」で大雑把にでも見当がつく乗務員であればラッキーだが、それは運次第だ。
行き先がわからない客と乗務員が、タクシーの中でお互いに考え込んでしまうという、まるで落語のようなシーンも時々あるという。
さいごに
知人の現役タクシー乗務員は、「最近は複合商業ビルとかいうヤツが多くて戸惑うことがあるよ」という。
けっきょくは同じ目的地であるにもかかわらず、「シャレオツ」なビル名で言う人、中に入っているテナントの店名や会社名で言う人、何年も前の名称で呼ぶ人など、人によって呼び方や説明のしかたが大きく異なるのだそうだ。
最後まで目的地を言わず、ただただ道順を指示するだけの客。
本人としてははっきり目的地がわかっているが、その説明が恐ろしくヘタな客。
そもそも「ものの言い方」を知らない客…。
そんな、容易に類型化することなど出来ない「生身の人間」を日々相手にするのがタクシーであり、接客というものなのだろう。システム化されたサービスを利用するのであれば、そのシステムに相手にしてもらえるような、類型化、パターン化された準備や態度が、消費者側に求められそうだ。
タクシーにしろ何にしろ、我々は機能だけを要求するのか、それともプラスアルファも期待するのかをはっきりさせておく必要があるのかもしれない。
そして、あい対するAIや生身の人間に、上手に思いを伝える技術を磨いておかねばならないのかもしれない。
今回も長々と書いてしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。