近い将来のことをあれこれと語ることは、世間にいくらでもある。卑近なところでは「占い」であり、難しいところでは経済予測だとか経営計画といったことだろうか。来年は2025年だが、筆者は今年の年末から再来年の初旬にかけて、なにか日本社会に、数十年ぶりの大きな変動が起こるのではないかとひそかに考えている。それは期待でもあり、不安でもある。 . . . 本文を読む
昭和20年(1945年)9月、昭和天皇(以下「天皇」)は、現在のアメリカ大使館となる場所へ出向き、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーと初めて対面、会談した。しかしその時の内容は、日本側とアメリカ側で記録が微妙に異なっており、令和の現在も議論が続いている。一番のポイントは「責任」という言葉を天皇が発したのかどうかということだ。「真実は必ずこうであるはずだ(こうあるべきだ)」などという決めつけや願望ではなく、考え始めるためのヒント、きっかけとなれば幸いである。 . . . 本文を読む
東京に住んでいたり働いていたりする人よりも、観光などで訪れた人の方が、素朴な疑問として感じるのかもしれない。「大阪、名古屋、姫路…、立派なお城はいくつもあるのに、肝心の江戸城(あるいは皇居)に天守閣がないなんて」と。筆者も若かりし頃、ボンヤリとそう思っていた。なぜ江戸城に天守閣が残っていないのか。これをきちんと説明することができ、さらに令和のいまにアナロジーをとって行動できる国会議員、あるいは都知事選候補者はどれだけいるだろうか。 . . . 本文を読む
今年は2024年だから、100年前は1924年(大正13年)ということになる。しかし本稿では、100年前をザックリと「第一次世界大戦が終わったころ」としたい。なぜならその時の日本社会のありようと、令和のそれが、なにやら奇妙に重なっていると感じるからだ。じつは日本は、第一次世界大戦においては戦勝国であった。しかしそこからズルズルと悲惨な第二次世界大戦へと傾斜していく。「あの時期」を、いま一度確認してみることは、令和を生きる我々にとって意味があるのではないか。 . . . 本文を読む
先日、静岡県知事が任期途中での辞任を表明した。ここ最近では、リニア中央新幹線の建設着工に反対する存在として知られるような人物だが、筆者は彼が提唱していた「いざ裏山へ」というキーワードを思い浮かべながら、そのニュースを眺めていた(一般的には「リニア中央新幹線」と呼ばれることが多いが、本稿では基本的に「リニア」と表記する)。 . . . 本文を読む