先日、静岡県知事が任期途中での辞任を表明した。ここ最近では、リニア中央新幹線の建設着工に反対する存在として知られるような人物だが、筆者は彼が提唱していた「いざ裏山へ」というキーワードを思い浮かべながら、そのニュースを眺めていた(一般的には「リニア中央新幹線」と呼ばれることが多いが、本稿では基本的に「リニア」と表記する)。
INDEX
- 8.9㎞の「壁」
- 静岡県の懸念と本音
- JR東海の体質
- 「のぞみ」は静岡県を通過する
- 反対の構造
- どうする静岡県
- 二地域居住「いざ裏山へ」
- 未来を見据えて
8.9㎞の「壁」
「リニア」とは周知のとおり「リニアモーターカー」のことだ。超電導磁気浮上方式によって車体を浮かせ、リニアモーターの動力よって500km/h以上の高速で走行する次世代の新幹線である(低速域では車輪走行)。
現在のところ本州の中央部を通るようなルートで、東京都と大阪市を結ぶ「中央新幹線」が計画されており、すでに「品川~名古屋」間の開業へ向けて工事が進んでいる。
しかし唯一、着工できていないところがある。静岡県を通る区間である。
「品川~名古屋」間における総工費は約7兆円ということだが、これは全額JR東海が負担する(中間駅の建設についても一定の条件を付けてJR東海が負担することを2011年に表明)。
ただ、日本国政府としても開業を急いでほしいということもあり、財政投融資というしくみで3兆円をJR東海へ貸している。もちろんこれはJR東海が返済すべきお金だ(年利は0.8%強といわれる)。
さて、このリニアが通るのは(品川~名古屋の区間では)、東京都・神奈川県・山梨県・静岡県・長野県・岐阜県・愛知県である。このうち静岡県を通る部分は「南アルプストンネル静岡工区」と呼ばれる8.9㎞の区間である。
このトンネルそのものは、山梨・静岡・長野を貫く約25㎞の長さがあるが、そのうち静岡県を通る部分が8.9㎞ほどあるのだ。
地図を見ればわかるが、静岡県の北部は、大井川に沿って細長く南アルプスまで伸びている。もちろんこんな山中に駅ができるわけではなく、リニアはトンネルで通過していく。
静岡県の懸念と本音
静岡県がリニアの工事で懸念しているのは大きく3つだと言われている。
「大井川の水量減少」、「南アルプスの自然への影響」、「トンネル掘削で出る残土の処分」だ。
大井川の水は、静岡県の生命線といえる。その豊富な水量は、昔から生活面でも産業面でも駿河・遠江の国を潤してきた。森林資源も豊富で、林業・木工業なども盛んになった(現在の静岡県の範囲は旧国名では駿河・遠江のほかに伊豆を含む)。
この大井川の水量減少への懸念に対して専門家会議は「影響は少ない」とみているようだが、それでも大井川上流にある田代ダムから山梨県へ(発電目的で)分けている水を減らす案や、トンネル内に湧き出してくる水を大井川へ流し込む案などが出ている。
2つ目の、南アルプスの自然環境については、ユネスコが貴重な動植物が生息しているとして「エコパーク」に指定しており、これに対して事前の対策を求めている。
3つ目の、トンネル工事で出る大量の土は、約370万立方メートルと計算されており、ざっと東京ドーム3杯分。これには基準を超えた重金属(鉄より重い金属)が含まれており、いまのところ大井川上流に盛土するしかないのだという。静岡県の条例により他の候補地には置くことが出来ないからだ。
「盛土」と言えば熱海の土石流事故が記憶に新しい。そんなこともあって技術的・論理的思考を超え、情緒的な不安も増しているようである。
しかし、これら3つの「懸念」はリニア建設反対のための表向きの理由であって、本音は別のところにあるとされている。それは、
- 東海道新幹線「のぞみ」が静岡県には一切停車していない
- リニア建設によって結果的にさらなる不都合が県にもたらされるのではないか
- 「静岡空港の地点にも新幹線新駅を」という要望がほぼ無視され続けている
という現在の状況である。
JR東海の体質
そういった静岡県の(怒りに近い)懸念にくわえ、JR東海という会社が地元自治体の事情を考慮しない体質を持っていることも指摘しておかねばならない。
停車駅が少ない高速列車を走らせれば、そのままでは通り過ぎていく町々が寂れていくのは簡単な理屈だ。
そこでJR東海(とJR貨物)以外のJR各社はみな、地元自治体や企業と協力し、魅力的な観光列車を走らせたり、旅行キャンペーンなどを打ったりして、通過地域の観光振興を図っている。
しかしJR東海だけは自治体との協力には後ろ向きだ。ごく一部の例として「ワイドビュー」という特急列車(車両)があるが、地域観光振興という意味ではまったく力は入っていない。
在来線のすべてが赤字と言われているJR東海だが、それはもちろん東海道新幹線の儲けによって埋め合わせている。
「いったい、誰がメシを食わせてやってると思ってんだ」といった意識があるのかもしれない。
昭和39年の新幹線開業以前から、国家的意向や国家的利益と強く結びついた(国鉄時代からの)上から目線の企業風土は、いまなおプレスリリースの文章を読んでいても端々に滲み出ている。
JR東海は我々一般国民というより、国家的利益、国家的産業振興を目的に、国家の方を向いて仕事している会社、という面がぬぐい切れない。
かつてのJAL(日本航空)を彷彿とさせるようでもある。
各地の新幹線が次々と完全禁煙化へむけて進んでいくなか、東海道新幹線だけが禁煙化のスピードが遅々として進まなかったのも、その前時代的企業姿勢を反映している気がする。
古い話だが、2003年に健康増進法が施行され、鉄道も含めて事業者は受動喫煙防止に努めなければならなくなった(当初は努力規定)。その時、長野(北陸)、東北、上越、秋田、山形の各新幹線は列車内全面禁煙となったが、東海道・山陽新幹線だけは、それから4年後の2007年になってから、それもN700系という特定の車種に限って、「全席禁煙+喫煙ルームあり」とした。
これには愛煙家議員連盟などからの強い圧力があったことは疑いない。
そうしてようやく東海道新幹線が一部に残していた喫煙ルームを廃止し、列車内全面禁煙を達成するのは、なんと今年2024年3月16日である(「喫煙ルームの廃止」については山陽・九州新幹線も同時期)。
「のぞみ」は静岡県を通過する
皮肉な項目タイトルになってしまったが、東海道新幹線の最速タイプ「のぞみ」は静岡県の駅には止まらない。
考えてみれば静岡県には新幹線の駅が6駅もある(熱海・三島・新富士・静岡・掛川・浜松)。それなのに「のぞみ」がどこにも止まらないというのは、静岡県民としては甚だ悔しい気持ちがあるだろう。
じつは筆者は、伯母の介護の関係で、掛川から都内へ新幹線通勤していた時期がある。
掛川は各駅停車タイプの「こだま」しか停車しない。「品川~掛川」の所要時間は約90分である。「のぞみ」であれば同じ90分で名古屋からも通勤可能なわけで、「のぞみ」や「ひかり」の通過待ちをする途中駅で、車体を揺らされながら「なんだかなァ」といった気持ちになったこともある。
静岡県へのアクセスは、東京・大阪いずれからも不便なのである。
こんな静岡県にとって、県北のわずか10km程度をリニアが通過することによって、リニア新駅ができるわけではないわ、大井川の水が減るかもしれないわ、東海道新幹線の利用者が減るわとなれば、不安になるのも無理はない。
神奈川・山梨・長野・岐阜の各県ならば、単純にリニア新駅ができることによって新たな産業振興も期待できるが、静岡県だけ「置いてけぼり」になる可能性が高いのだ。
特に静岡県は、1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業のあとに、各駅停車タイプの「こだま」さえ止まらない東海道本線の駅周辺が、その後どういう道筋をたどったかを身にしみてわかっている。
じつはそこが、(水よりも土よりも大切な)根本的反対動機なのかもしれない。
時代や規模は違えど、山梨や長野が発展し行く中、静岡だけが埋没していく不安がよぎってもおかしくない。
反対の構造
ところで経済発展のための土木建設工事と自然環境保護の対立という構造は、今も昔もあちこちで見られる。お互いに意見を述べ合って議論し、合意点を探そうとすることは当然ながら必要な作業だ。
ただ、おもにICT分野で数々のプロジェクトに携わってきた筆者としては、ものごとの推進派に対する反対派の姿勢が、しばしば似たようなパターンを見せるという気がしている。
それは、ひとつに「将来のシナリオを悲観的に描く力が逞(たくま)しい」ということ。もうひとつは「情緒的な理由が根底にあるため、論理的説得力がいま一つなことがあり、そのためしばしば、推進派の『推進手法』に問題があると指摘しがち」という点だ。
悲観的想像力の方は、「もし、こうなったらどうする」「その話を進めたらこんなことになってしまうぞ」というもので、暗いシナリオを次々と列挙して推進派に問いただす手法である。
もちろん、聴いていてもっともな懸念もあり、ときには推進派が気づいていなかった視点が得られることもある。
しかし、「いくつも」挙げられる懸念の多くは、やがて推進派が答えられなくなることを狙っているか、プロジェクト開始を少しでも遅らせようとする時間稼ぎのための質問攻め戦略である場合も少なくない。
これでは結局のところ、「条件付きで認める」どころか、「100%完璧でないものは絶対に認めない」ということにもなりかねず、いかなる新プロジェクトも進めることは不可能となってしまう。
また、「推進手法に問題あり」という主張も、いかようにもアレンジできる余地があり、いずれもプロジェクトを中止させるか、少しでも開始を引き延ばす、あるいは反対派にとっての好条件を引き出そうとする意図が見て取れることが多い。場合によっては議論の場を潰すことさえ厭わないようなこともある。
ただこういった「戦法」は、反対する立場の人からすれば当然と言えば当然だ。
反対する人たちにとってみれば、理由はどうあれ中止してもらえればそれでOKなのだから、論理的な議論であることの必要性は高くない。
そういう意味では、推進派と反対派の議論というのは、最初から非対称な状況に置かれているような気がする。
どうする静岡県
それでは、静岡県はどうしたらいいのか。
素人くさいアイディアであることは十分承知のうえで言わせてもらえば、既存の静岡空港(国際線も就航している)の活用が考えられる。といっても東海道新幹線の新駅建設ではない。
いまでもSL(蒸気機関車)に乗ることが出来、美しい風景も楽しめる大井川鉄道を「一つのキーポイント」に、在来線の金谷駅周辺地域を整備し、この駅に停車する特別な列車(特急列車ということではない)を開発・運行させるというアイディアが考えられると思う。
金谷という地域(金谷駅、新金谷駅周辺)は大井川沿いの狭い平地であり、仮にここを一種の扇状地ととらえれば、金谷駅はその扇頂のような場所に位置していることになる。決して広くて平らな土地が確保できるわけではないけれど、静岡空港がある台地を下りればすぐのところだし、少しずらしたところに駅を移設するということも考えられる。
荒唐無稽なようだけれども、滑走路の直下をトンネルで走り抜けているところを掘り返して、飛行機も新幹線も運用しながら新駅を建設することに比べれば、はるかに容易なことではないだろうか。
JR東海がいうとおり空港駅の新設は、掛川からわずか十数キロの地点に新駅をつくることになり、列車退避、加減速時間、列車間隔などの理由から、「のぞみ」の速達性が損なわれるだけでなく、東海道新幹線全体のダイヤ編成(運転本数減など)にも影響を及ぼす。もちろん各駅で接続する在来線ダイヤにも影響が及ぶ。
素人でも非現実的だと理解できるし、実際JR東海は一貫して歯牙にもかけていない(リニアが大阪まで延伸開業したら、東海道新幹線を「ひかり&こだま体制」に戻すという考え方も可能ではある)。
もちろんSLと周辺の景色だけで話がうまく回るわけはない。
県内の観光産業を創造し、同時に国が静岡空港の就航路線と便数の増強、需要喚起をバックアップし、JR東海が金谷駅停車の速達タイプ観光列車を創設する。
国が民間企業を直接支援するのは難しいけれど、地域振興というパッケージでやればいい。そこは政治家たちの得意とするところだろう。
静岡県は、開発次第で輝く観光資源が放置されていると思う(JR東海が非協力的なせいもあるが)。
陸地ばかり注目されるが、静岡県は海洋資源の面でも「売り」がある。そもそも駿河湾は、富山湾と似て沿岸部で急に深くなっており、豊富な漁業資源が近場で調達できるという特長もある。
これら観光資源の開発・商品化は官民の構想力の見せどころだ。
もしかしたら、東京をすっ飛ばして、静岡県へ直接向かうインバウンドの潮流を作り出せるかもしれない。「静岡イン・東京アウト」などといったルートも思い浮かぶ。
かつて静岡県は、それまで盛んだった林業・木工業が衰退しはじめたとき、木工職人たちは扱う素材をプラスチックに変え、そうして世界に冠たるプラモデル産業を発展させた(日本のプラモデルの出荷額の9割以上は静岡県。タミヤ本社もある)。
さらに言えば、明治に入ってまもないころ、大井川の「渡し」の仕事を失った人々は、丘陵地を活用した茶の栽培に生業(なりわい)を転換し、巧みに生き抜いてきた歴史がある。この時は横浜開港による茶の輸出拡大を考えていた勝海舟のアドバイスもあった。
つまり、「官の構想力」と民の「破壊的イノベーション力」で、しぶとく柔軟に生き抜いてきたのである。
二地域居住「いざ裏山へ」
さて、ようやく「裏山」である。
かつて川勝知事は「いざ裏山へ」という言葉を語っていた。それは二地域居住を提唱する文脈であったと記憶している。
二地域居住とは、平日は都市部で働き、週末には地方や田舎に設けた、言わば「サブ住居」で暮らすといったライフスタイルである。
ただし「別荘」などといった大げさなものでなく、たとえば郊外に家庭菜園を借りて野菜でも栽培するといったようなことさえも視野に入る考え方だ。
この二地域居住というライフスタイルは、これからの日本社会に有効だという主張がある。
人口減少が約束されている日本において、どうやって需要を喚起するのかということを考えたとき、そこに生きている人が、「これまで以上に移動すること」が有効だとする立場である。
移動すれば人は必ず何かを買う。電車や自動車にかかるお金だけではない。食事もするし土産も買う。興味あるものを発見して金を使う。そして小さな仮住まいでも建てて(または安いアパートでも借りて)1~2泊できるような環境を整えれば、そこにカーテンだのカーペットだの、これまた需要が発生する。
さらにこういったライフスタイルは、経済需要を起こすだけでなく、都市部で効率よく働き、同時に自然に親しんでリフレッシュするという好循環を社会にもたらす、と考えられている。
だとすれば当然、都市部と地方、あるいは都市部と都市部を効率的に移動することができる手段が重要になってくる。
ちなみにこういうと「リモートで仕事ができるじゃないか」という声が聞こえてきそうだ。しかしリモートで出来る仕事には、すでに一定の限界が見えてきているのは周知のとおりではないだろうか。
職種にもよるが、週に1~3日は現場へ出向き、生身の人間どうしで対面するといったかたちが現実的な気がする。
未来を見据えて
リニア開業は、「いざ裏山へ」の考え方とも親和性が高いのではないか。
様々な懸念があるにしても、そこはまた様々な工夫を施し、関係者が歩み寄ることによって、より大きな果実を(間接的なものも含めて)皆で分け合うことができるような気がする。特定の業界に金を注ぎ込むのではなく、言わば新しい動脈づくりである。
さらに先進的な高速鉄道の実現は、日本の技術力の証明ともなり、海外への技術供与という面でも、日本が大きなアドバンテージをもつことができる。
高速鉄道とひとことで言うけれども、自動車業界と同様、その実現のためには様々な分野における技術基盤が裾野を広げるように支えており、単に人の移動による産業振興だけにとどまらない効果もある(戦後に新幹線の技術基盤を支えたのは、航空産業に従事する技術者たちであった)。
ただし、そこで「国力の維持・増強か、それとも地域振興か」といった対立構造、ましてや報復思考で未来を語るのではいけない。どうすれば「各地域を含めた日本」が今後も豊かさを享受していけるのかを基本に据えて、考えていくべきなのではないかと思っている。
一面の真実を語っているだけでは、未来を創ってはいけない。
我々はいま、巧みに悲観的な未来を描いて立ち止まってしまうのではなく、どうやって賢く前へ進んでいくかを冷静・客観的に議論する方がよいのではないか。
もちろん初めから「プロジェクト実行ありき」の議論ではダメだが、チャレンジさえしようとしない姿勢では、やがて日本は世界から取り残される。いや、すでに東アジア地域において、かつて日本が見下していた国々にさえ劣後している部分が少なくない。
それらの原因の根底には、失敗を恐れ、チャレンジすることを避け、現状の変化を嫌う「考え方のクセ」があったのではないか。
推進派も反対派も、頑なな姿勢では時間とエネルギーを浪費するばかりで先へ進まない。ましてや「嫌がらせ」的な姿勢では、じわりと衰退していく日本に拍車をかけるばかりだ。そうやって国内で揉めているうちに、周辺国はさっさと日本を追い越していく(追い越した)。
内輪揉めしているうちに潰れていった人間集団の例は、日本史的にも、我々の個人的経験からも、枚挙にいとまがないのではないか。
個人としてはあまり興味がなかったリニアの件ですが、
大騒ぎする場合は必ず巨大な利権がらみ(苦笑)
オリンピックや万博など、政治家や電通やパソナ等のピンハネばかりで嫌になります。
個人的には、すでに新幹線が有り、
①今後,人口が減っていく日本に、国家財政に負担を与えるお金を使ってリニアが必要なのか❓
②フォッサマグナ など地質の問題、
地下に作ろうが巨大な自然のエネルギーでトンネルやレールにズレが生じたら飛行機事故と同じく大惨事が起きるのは確実!
トンネル だと救助活動も復旧工事もままならぬ〜
以前,利権に関与しない学者の方に『地質学的に日本には(安全)に原子力発電所を置く場所は無い』
と言われたことがあります。
同じ構図 かと思うんです〜
少子化が進む日本は、身の丈にあった 将来を考慮する必要があると考えます。
例えるなら60歳から多額のローン組んで一軒家 買わないのと同じく〜
気になったので書き込みさせていただきました。