半次郎の“だんごんがん”

要するに、居酒屋での会話ですね。
ただし、半次郎風のフレーバーがかかっています。
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今日は日中国交正常化の日!!

2016年09月29日 12時14分01秒 | 今日は何の日?

こんにちは、半次郎です。

このところ蒸し暑い日が続いています。
夜中も気温がそれほど下がらず蒸し暑いままでしたし、今朝は久しぶりに汗びっしょりになって目覚めました。
カラッとした秋晴れは、まだまだお目にかかれていません。
台風ばかりでスッキリしなかった9月も、もう残すところ明日までの1日のみとなってしまいました。
残念至極でございます。

さて、そんな今日9月29日は、日本と中国の国交が正常化した歴史的な記念日になります。

1972(昭和47)年の今日、『日中共同声明』の調印式が北京で行われ、田中角栄、周恩来両首相が署名しました。
建国以来途絶えていた日本と中国が、国交を開始しました。
このお陰で、パンダが日本で見られるようになりましたし、何より、“爆買い”などという現象も起こらなかったに違いありません。
13億人もの人口を抱える中国と、米国に先駆けて友好を結び、両国の経済の発展(どちらかと言えば、日本が多くの利を得たいという魂胆でしょうが・・・)の下地を作ったと言っても良いと思います。

この時、中国はまだ建国して23年ほどしか経っていなかったのです。
今のように米国と肩を並べるほどの大国になるとは思われてはいませんでしたが、その頃から人口の多さが脅威になると思われていました。
脅威でもあるのですが、商売としては最高のマーケットになると思われていた訳です。

そんな先見の明のあった田中角栄ですが、その代名詞でもある金権政治がロッキード事件で崩壊し、今太閤と言われた男が失脚した訳です。
金権政治の終焉かと思いきや、そんなはずはなく、兵庫県議や富山県議の政務活動費の虚偽計上の例を出すまでもなく、器はだいぶ小さいもののまだまだお金にまつわる不祥事は後を絶ちません。

ただ、田中角栄には、こんな逸話が残っています。
田中派のある若手議員が急な理由でお金が必要になり、親分の角栄に100万円のお金を無心してきました。
すると角栄は3倍の300万円を若手議員に渡し、「100万円でケリをつけろ」「次の100万円で苦労を掛けた周囲の人間にうまいものを食わせてやれ」「残りの100万は万が一の場合のために持っておけ」と言ったとか・・・。
「返済は無用」というメモ書きが同封されていたそうです。

同じ人間、同じ男として大したものだと思う反面、他人のお金だから気前よくくれてやることが出来るんだな~などとも思う次第です。

田中角栄には他にも逸話が多いのですが、お金に関しては「借りた金は忘れるな。貸した金は忘れろ」という持論を持っていたそうです。

これも庶民感覚とはかなりかけ離れてますね。
半次郎は、借りた金はすぐ忘れ、貸した金はとことん覚えていますけど・・・。

そんな田中角栄のエピソードの中で、サラリーマンにとって理想の上司と思われるであろうものがありますので、ご紹介します。

ある日、大蔵省が間違った税率表を発表してしまいました。
このミスに役人たちはみな青ざめ、課長が辞表を持って角栄の大臣室にやってきました。
しかし角栄は、「そんなことで辞表なんぞ出さなくてもいい」と言って、翌日改定表を持ち出して、「先日の税率表には間違いがあります」と言って訂正してしまいました。
勢いに押されたのか、野党もマスコミも何も言いませんでした。
大蔵省の役人は、さらに角栄に懐くようになったそうです。

これですよね。
ミスなんかでいちいち辞めていたら、やる仕事がなくなってしまいますよね。
人を大切にすることは、どこからどう見ても“正”なのです。
田中角栄という人は、意識しているのかどうかは分かりませんが、人を惹きつける魅力を持った方ですね。
人が集まるはずですね。

今また、田中角栄がブームになっているようで、彼を書いた本が売れに売れています。
今年の12月で、没後23年を迎えますが、まだまだ魅力(商品価値)があると言うことでしょう。
功罪相半ばしますが、人間的な魅力はたくさんお持ちの方でしたね。

半次郎、悲しいかな全く正反対の性格だけに、足下にも及びません。
男たるもの、情けないですね。

それでも、強く生きていく半次郎なのであった。

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