半次郎の“だんごんがん”

要するに、居酒屋での会話ですね。
ただし、半次郎風のフレーバーがかかっています。
≪安心ブログ≫

主演は春吾さんの弟さんでした~!?

2013年10月10日 11時38分22秒 | Weblog
こんにちは、半次郎です。

一昨日投稿した『サッドティー』の主演は、立川春吾さんではなく、彼の弟さんの方でした。
半次郎の早とちりです。
彼らの母親(半次郎の同級生)から頂いたメールには、ちゃんと“次男”と書いてありました。

ここに慎んでお詫び申し上げ、訂正させて頂きます。

しかし、兄弟揃って芸能界に進むとは、何とも羨ましいものですね。
数少ないチャンスをモノにし、尚且つ、成功を手に入れるとは、いやはや恐れ入りました。

この半次郎、芸能界には子どもの頃から憧れていました。
俳優、歌手、噺家…。
この中で、自分がなれるとしたら噺家だろうと、高校を卒業する頃には漠然と、そう思うようになっていました。

理由は簡単、その当時の噺家は顔のユニークな方が多く、半次郎も噺家ならなれそうだったのです。
ただし、昨今はアイドル並みの顔の噺家も多く、やはりイケメンが活躍する世界になりましたが…。

…ところが半次郎は諦めるのも早く、江戸落語はやはり江戸弁が流暢でなければならないと気付いて手を引きました。

半次郎が寄席に通っていた頃は落語ブームで、噺家の数が増えていた時期でした。
と言うことは、前座や二つ目がかなり多いと言うことで、なかなか真打ちになれず、試験を受けて何人かまとめて真打ちになると言う時代でもありました。

それに異を唱えたのが三遊亭円生や当時の四天王と呼ばれる噺家たちです。
その四天王とは、立川談志、古今亭志ん朝、先代三遊亭円楽そして橘家円蔵さんです。
今、橘家円蔵さん以外は、みなさん鬼籍に入られたのが残念でなりません。

この話しは長くなるので、ここらで止めておきますが、つまり、前座、二つ目の中に居る地方出身者の噺を聴いて、あっさり身を引くことを決意した訳です。

訛りこそないものの、時々、イントネーションがおかしくなる半次郎では、噺家になっても「こりゃあ、売れないや。」と感じたと言う訳です。
当時の名人・上手と比べていたのですね。

今、時代は地方出身者の味方で、逆に個性があってマスコミに出て売れているようですが…。

そんなこんなで、噺家や俳優の道に進み、着実に力を付けて来ている彼ら兄弟は、半次郎の出来ないことをやっている訳で、尊敬しますし凄いことだと思うのです。

最後に、彼らにエールを…。

頑張れ~、半次郎がついてるぞ~!

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