レガスピへの道 (でも時々、菊川)~Road to the Legazpi City Albay!~

37年7ヶ月の会社生活を終え、次のステップをフィリピンで過ごす事に決めた男のつぶやき
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2023年9月11日のまにら新聞から

2023-09-11 08:53:27 | フィリピン
2023年9月11日のまにら新聞から

 出国審査では日本側の危険予想が当たり、出国審査職員から「パスポートに入国スタンプがないのはなぜか」などと新ガイドラインの内容を踏まえない疑問が呈された。それに対し花田公使は責任者に会って直接説明、審査を無事通過させた。

 小山さんが日本パスポートを取得したのは19年。しかし、そのまま出国手続きを進めると誕生時からの「不法滞在」と計算され200万ペソ(500万円以上)の罰金を課される可能性があると知り、その時は父の故郷訪問を諦めざるをえなかった。今回、現場職員への周知不徹底があったものの、出国審査責任者の理解のもと就籍2世が新ガイドライン適用第1号として罰金なしで出国し、事実上の罰金「免除」が明確になった。

 マニラ発日本行きの便に乗るため午前0時過ぎにダバオからマニラ空港に到着した小山さんと娘のアミー・ビリャベルさんは深夜1時半、空港近くのホテルオークラ・マニラで大使館により設定された記者会見に臨んだ。同ホテルにはわずか数時間の滞在だったが、帰国事業の趣旨に賛同したホテルオークラ側が無償で部屋と会見場を提供した。

 「会見が開かれるほどおおごとになるとは思っていなかった」という小山さん。しかし困惑を思わせないはっきりとした口調で、日本帰国が実現した感想について「幼少期のころから日本を訪ねたいと思い続けてきた。父の生まれた地に足を運べる。とてもうれしく、わくわくしている」と喜びを語った。

 また、他の残留邦人へのメッセージとしては「明日死ぬかも知れない年齢の私でもこうして日本に行ける。どんなに高齢になっても希望はある。他の日系人もぜひ日本に行ってほしい」とした。

 

 ▽父の足跡を求め

 小山ヒロコさんは太平洋戦争勃発半年前の1941年6月、南ダバオ州パタダ町に父十万保(とまほ)と母ヘルモヒナの間に第3子として生まれた。5人きょうだいのうち、現在生存しているのはヒロコさんだけだ。

 母の話では、父は福岡県からの移住者。10代のころに南ダバオ州に移住し、雑貨商店を経営していた。そこで母と出会い1930年2月23日に結婚。結婚後は複数の地区に家と土地を所有し、労働者を雇って麻の一種、ラミーを栽培するなど事業拡大によって豊かな生活をしていた。

 戦争中、一家は戦火を逃れ、比最高峰のアポ山に避難した。幼少のヒロコさんは戦時の記憶はほとんどないが、後に母からはその生活が「とても過酷で辛かった」と聞かされたことを覚えている。終戦直前、父十万保、兄ヒロシさんとヒロコさんは米軍の捕虜となった。その後、父だけ強制送還された。

 戦後、父と別れパタダ町に戻ったヒロコさんらは極貧の生活に見舞われた。母はウカイウカイ(中古品販売)や市場への卸の仕事を掛け持ちし、子どもたちを養ったが、生活苦は厳しく、妹キミコ、弟ペドロが幼い命を落とした。

 戦後、うずまく反日感情から身を守るため日本名を隠したヒロコさんだが、比の日本人憎悪からは逃げ切れず、しばしばいじめや迫害の対象となった。ヒロコさんは差別と闘い続けながら、高校卒業後、家政婦として働いた。1966年に近所に住むラバネスさんと結婚したが、その際の婚姻証明書は母の旧姓で登録した。

 送還された父の行方を求め、1997年ごろダバオの日系人会を訪れて身元探しを依頼。その結果2002年に、父親は岡山県生まれで1948年に福岡県で死亡したことが分かった。父の身元が判明したことで、小山さんの子どもは「日系人」の在留資格を得られ、日本に渡航し就職することができた。その一方、ヒロコさん本人は就籍前にはどちらのパスポートも取れず、就籍後は罰金問題で日本帰国の思いが果たせぬまま時間が過ぎていた。(竹下友章)

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