金楽山法楽寺の境内に設置された案内板は2種類あって、一つは法楽寺の文化財についての案内です。本堂を始め伽藍の建築物のほとんどが文化財の指定を受けています。それらについて写真入りで解説がしてあるものです。もう一つが、播州犬寺物語に関するものです。中でも大きく取り上げて紹介しているのが「元亨釈書」という書物です。この一部が写真入りで紹介されています。Webサイトでも「元亨釈書」鎌倉時代の学僧虎関師錬が著した仏教史書。「峯相記」鎌倉時代に成立した播磨地方の地誌。峯相山鶏足寺の僧侶が語る話を著者が聞いているという体裁をとる。「和漢三才図絵」江戸時代に書かれた日本の類書。(百科事典のようなもの)「播磨鑑」江戸時代に成立した播磨地方の地誌。に犬寺の記述があると紹介しています。その中で最も古いものが「元亨釈書」のようです。百科事典の紹介では「鎌倉時代末期に虎関師錬が著わした仏教史書。三十巻。仏教の伝来から元亨二年(1322)までの約七百余年間にわたる諸宗僧侶の伝記や評論、および仏教関係の諸事蹟などを漢文体で記した日本仏教の略史である。」とありました。法楽寺の案内板には、その第二十八巻「寺像誌」に、播州犬寺の縁起が記されていると紹介しています。以下その内容です。
「昔、蘇我入鹿大軍を召して上宮太子一族を亡ぼす(643)。播州の枚夫という者あり。召されてその軍に加わる。枚夫に妻あり。その間、下僕(家来)と密かに通ず。やがて、戦い終わり、枚夫は都より帰る。
さて、事が露見し討たれるのを恐れた下僕は、「近くの山中に一カ所鹿、猪の集まる所あり。願わくば殿と共に猟に行かん」と、言葉巧みに枚夫を狩りに誘う。狩りを好む枚夫、日頃養育せし二頭の犬を連れ、喜び勇み、下僕の案内で山の奥深く分け入る。突如、下僕弓に矢をつがえ曰く「この山には獣などはいない。あなたを欺いて誘った。お命を頂戴する。覚悟召されよ」と。
もはや、これまでと覚悟を決め、枚夫は二頭の愛犬を呼び寄せ、己の弁当を分かち与えつつ「よく聞け。今、下僕に欺かれ、空しく此の山中にて我が命を奪われる。国の人々来たり我が屍を見られるは、大なる恥辱なり。故に、二犬よ。我が屍食い尽くせよ」と語り聞かせる。話が終わるやいなや、二犬は猛然と下僕に襲いかかり、一頭が下僕の弓弦をかみ切り、もう一頭が候元に噛みつき、下僕を倒す。
かくて、枚夫我が屋敷へ急ぎもどるや、親族に告げて曰く「我、この二犬によって命を全うし得たり。今よりこの二犬を立て我が子となす。我が財、皆、この二犬の有なり」と。
さりながら、二犬 枚夫より先に死す。枚夫、二犬の死を悼み悲しみ、伽藍を建立、千手大悲の尊像を奉安して冥福を祈る。この千手観世音菩薩像の霊感日に新なり。野火四面より伽藍に迫りしこと三度ありしが、一度も災い伽藍に及ぶこと無しという。
このことが、平安時代の初め、桓武天皇 (782~805)の御聞に達し、勅して「官寺」となし、田数頃(頃は百畝の広さ)を喜捨したまう。」(元亨釈書 寺像誌 概略)
30秒の心象風景27274・犬寺の案内~法楽寺~
https://youtu.be/dS3YTDMMzFc