信州塩尻発 田舎暮らし日記

生まれも育ちも埼玉県飯能市。現在は移住して長野県塩尻市民です。 田舎暮らしや趣味の事、居合道の事等々を書いております。

移住して7年の移り変わり

2018年03月27日 | 信州の暮らし




私も先日の25日で長野県へ移住して7年が経ちました。
引っ越して来た当日、カインズホームでママチャリを買って、夜に奈良井宿まで行ったり、朝起きて窓から高ボッチが見え、玄関先から北アルプスの峰々を望んだ時の高揚感は未だに忘れられない思い出です。

トップの写真は、移住して初めての朝、起きて堪らず外へ出て、散歩している最中に撮ったものです。
目の前にこんなに高い山がある事が、凄く新鮮でした。
実家も東西南北歩いて3分で山ですが…



近くに空港があることも感激でしたね。
埼玉の空港といえば、航空自衛隊の入間基地くらいしか…


そして、その移住する日、信州へ向けて埼玉の実家を出発する時、母と父方の祖母、実家前の商店のおばちゃんが見送ってくれて、途中飯能郊外の母方の祖母の家に寄ってから信州へ向かいましたが、母は4年前に他界、父方の祖母は大腿骨を折り、常に介護が必要になってしまったため老人ホームへ。
そして、母方の祖母は先日24日の土曜日に他界したとの報を受け、明日、明後日に葬儀…

移住当時は22歳でありましたが、今は29歳。
こうして7年の歳月が経つと、こんなにも自分の身の廻りに変化があり、変わって欲しいところが変わらず、変わって欲しくない所が変わる…人生には実に残酷な面があるものだと、改めて思ったところです。
勿論その逆に嬉しく思う変化もありますが。

つい1週間前に私の歯が4本抜け落ちる夢を見て、何かの暗示かと思って調べましたが、身内や大切な人を失う予兆であるとネット上では書かれていました。
偶然かも知れませんし、あの世へ行った家族の誰かが知らせてくれたのかもしれません。

子供の頃、色々な所へ連れて行ってくれた母方の祖父母でしたが、これで両方とも他界してしまいました。
最後に感謝を伝えられればと思います。


そして、塩尻へ来た最初の3年は地獄でしたが、それでも見捨てずに助けてくれた、道場のお弟子さん、居合道の先生、釣具屋のおばちゃんや常連の人たち等がいてこそ、埼玉へ帰ることなくその後の4年は楽しく過ごすことが出来たことを思うと、長野県でお世話になった人にも感謝です。

それでもって、見事に信州の方言も移りました。
「〇〇だで」「〇〇へ~」「まーず、〇〇でいけねえ」「〇〇ずら」「〇〇だだよ」「頂きました」「ずくなし 」「凍みる」「ゴタなことを…」etc…

最初は「面白い言葉を話す地域だな~」と思っていましたが見事に飯能(吾野)弁と松本弁のバイリンガルになってしまいました。


8年目はどんな出来事があるのでしょうか…?