今年は暗い話題ばっかりだったねぇ。
年内最後くらいはイヤなことを忘れて、パッと行きましょうよ、ね。パッと。
ここでクイズ。これはなんでしょうか。
正解は。
さてさて、来年は笑って過ごしたい、ですね。
では、また。
ハル★
今年は暗い話題ばっかりだったねぇ。
年内最後くらいはイヤなことを忘れて、パッと行きましょうよ、ね。パッと。
ここでクイズ。これはなんでしょうか。
正解は。
さてさて、来年は笑って過ごしたい、ですね。
では、また。
ハル★
本日、仕事納め。
あしたから日曜まで4連休。
今年を振り返ってみましょうかね。
一月。
二月。
三月。
四月。
五月。
七月。
八月。
九月。
十月。
十一月。
十二月。
こっそりお泊りしたり、こっそり遊びに行ったりしたけど、あんまりおおやけにできない、そんな一年。
イヤだなー、こんなの。
せっかくのブログなのに、制約を作るなんて、やってる意味ないじゃん、なんて思ったこともある。
でもね、
タイトルのように『ダラダラ』がブログを始めたきっかけ。
来年も『ダラダラ』やっていくつもり。
わかんないけどね。
ハル★
ファンは自認してるけど、これはいかがなものか。
ネットニュースをそのまま載せました。
ところが、ネット上の反応はいまいち芳(かんば)しくない雰囲気なのです。“満を持して後出し発表した割には話題になってない”といった声の他、多くを占めたのが“あの声でちゃんと歌い通せるのか?”という不安でした。 思い返すと、おととしの紅白で歌った「ひこうき雲」と「やさしさに包まれたなら」は、厳しかった。単に高い音が出ないといったパワー不足の問題ではなく、楽曲のイメージを把握するのが困難なほどに不安定だったからです。今年に入って音楽番組に出演した際のパフォーマンスを見ても、残念ながら状況は改善されていませんでした。 熱心なファンからしたら、“あれがユーミンの味”なのかもしれませんが、それ以外の大多数の人は、現状のユーミンでは、音楽を楽しむといった気分になりにくいのではないでしょうか?
<松任谷由実の紅白出場年と曲名>
①2005年 紅組「Smile again」松任谷由実 with Friends Of Love The Earthとして
②2011年 紅組「春よ、来い」
③2018年 紅組「私が好きなユーミンのうた~紅白スペシャル~」
④2019年 特別企画「ノーサイド」
⑤2020年 特別企画「守ってあげたい」
もちろん、そうした音楽的、身体的な“キツさ”は、ある面では仕方ありません。それよりも、気になったのは超大物のユーミンらしからぬ前ノリなやる気です。全盛期には、「おせちを作らないといけないから」と出演を拒み続けた紅白に、ここへきて積極的な関わろうとする姿勢。ここに、ちょっとした違和感を覚えるのですね。 人は変わるものとはいえ、その変わり方に、よからぬ切迫感が漂っている。 たとえば、コメントの「私のことだから」というフレーズからは、いまだに自身が第一線で世間の耳目を集める存在であるとのプライドが感じられます。確かに、出場歌手の中でも抜群の知名度を誇り、ひとつの時代を象徴してきた輝きは記録にも記憶にも残るものです。 けれども、そうした時代を過ぎて、なお“特別枠の私”を強調する言い方をしてしまうのは、大きなブランドが本来かもし出す余裕とは相反するものなのではないでしょうか? キャリア晩年を迎える大御所にしては、ちょっとギラつきすぎのような気が…。視聴者から“歌えるのか?”と心配されている割には、強気で頼もしいと言えばいいのか。
そこで、ピークを過ぎたアーティストにとって、どのように立ち位置を変えていくべきかという問題が浮上します。 ボブ・ディラン(79)やレナード・コーエン(1934-2016 カナダのシンガーソングライター。代表曲に「Hallelujah」や「Bird on the Wire」など)のように、死ぬまで曲を書き続け、それが社会的にインパクトを残せる例は、極めてレアケースです。大体は、ある程度のところまで来たら、あとは一歩引いて後進のサポートをするとか、作詞や作曲のノウハウをシェアするとか、自らの力を業界に還元するミュージシャンがほとんどでしょう。 たとえば、エルトン・ジョン(73)は早くから若手ミュージシャンのサポートに尽力し(ツバを付ける目的もあったでしょうが)、近年ではエド・シーラン(29)という大スターの発掘にも成功しました。さらに、自身の出身校である英国王立音楽院に奨学金も寄付しています。
アメリカのソングライター、ジミー・ウェッブ(74 代表曲に「MacArthur Park」や「By The Time I Get To Phoenix」など)は、『Tunesmith: Inside the Art of Songwriting』という書籍を残しました。この本自体が、長い曲作りの行程になっているという驚きの一冊。歌詞の語句のチョイスから、韻の踏み方、メロディの起伏や和音、ハーモニーの構成など、盛りだくさん。さらには、作曲家として生計を立てるための心得も説くなど、まさに決定版といったところ。 いずれも、あとに続く人たちのための公共財を残すことを考えているのですね。 「私のことだから」と張り切るユーミン。これが残念なのは、紅白というちっぽけなステージにおいて、さらに自身の価値を小さくしてしまいかねない発言だからなのだと思います。 往時の光が強烈だった分、なおさらさびしさが募るのです。
<文/音楽批評・石黒隆之>
はいはい、わかりました。
ハル★
今年最後のお弁当さん。
ミートボール、ほうれん草のバターソテー、切り干し大根の煮物、たまご焼き、大根の葉のゴマ油炒め、きゅうりの醤油漬け二種、昆布のつくだ煮、紅ショウガ。
今年も今日を含めて四日。
お仕事は30日までだけど、今年も一年間、ずっとお弁当を作り続けることができた。
同僚がカップ麺を食べているとき、その匂いに負けてしまいそうになる。
でもね、我が道を進む。
なんちゃって。
来年のお弁当は4日から始動。
マンネリなんかはなんのその。
じゃ、また来年も【弁当おじさん】、まいりましょうかね。
ハル★
新しいアルバムを聞いて、すぐに評価をしたくなかった。
だからこそ、やっと。
「1920」は、5月に自身の母親が100歳を迎えたのをきっかけに今から100年前の1920年について調べたところ、スペイン風邪やアントワープオリンピックなど当時の状況と現在との共通項がいくつも見つかり、そこからイメージが広がり制作されたという楽曲。同曲で幕を開けるアルバム『深海の街』は、「100年後を生きる人々がこのアルバムを聴いて、かつて日本のシンガーソングライターが、コロナ禍の当時、こんな音楽の記録を残していたのか、と感じてもらえたら」との思いが込められた作品。
またこんなメッセージも。
──本作の制作は初夏からスタートしたそうですが、今春のステイホーム期間はどのように過ごされていましたか?
4月、5月は家から一歩も出なかった。アーティストとしてはまったく機能していなかったし、何よりも人と自由に会えないことが本当につらかったですね。実は昨年から、次のアルバムは「SURF & SNOW」(1980年発売の10thオリジナルアルバム)の40年ぶりの続編「SURF & SNOW VOLUME TWO」にしようと準備を進めていたんです。
──そうだったんですか!?
近未来型の“脳内リゾート”をテーマに、部屋にいながらにしてチルアウト気分やリゾート感覚を味わってもらえるようなアルバムにしようと。でも、そんなムードも新型コロナで一気に吹き飛んでしまって。
いいなー、ユーミン。
お願いです。
40年ぶりの続編「SURF & SNOW VOLUME TWO」を再考してください。
切なる願い。
ハル★
根っからのコンバース好きなもんで、ロゴを見ると反応してしまう。
かわいいッす。でもなぜネギが。
もしかしてスニーカーも、と思ったけど、そんなワケないね。
ゴメンね、勝手に撮っちゃって。
ハル★
創作意欲の湧く飾りを発見。
横から見ると、こんな感じ。
マネして作りたい。
なんていうのかな、これ。
そんな感じで、メリークリスマス、です。
ハル★
ちょっと前にお出掛けしたときのクリスマスツリーでありやす。
ちなみにきょうはお休み。
今からスパ銭に行ってくる。
イベントで子供たちにはお菓子のブーツが配られるみたい。
混まなきゃいいけど。
ハル★
あなどるなかれ、あなどるなかれ。
リンゴといえば青森ってイメージだし、やっぱりリンゴ王国。それは間違いない。
だけどフルーツ王国の山梨だって黙ってられない。
そう、長野だって福島だって忘れちゃならない。
ちなみに出荷量では山形が都道府県第3位ってことも覚えておいてね。
そんなワケで。
ま、採れるとこはドコでも、やっぱりリンゴっておいしい。そして、大好きっ。
ハル★
ネット記事より。
自分の場合。
本当においしいと思ったら、『ありがとう、また来るね。』と言葉を掛ける。
個人経営店も、チェーン店でも、呑み屋でも。そして必ず再訪する。
その逆の場合は、黙って店を出る。
バスから降りるときも、『ありがとう。』の一言。
ま、無視されることがほとんどだけどね。
ハル★