八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信392号

2023年04月26日 | 情報提供
八障連通信392号


連載コラム  Vol.71 『幸せになる権利』    八障連代表 杉浦 貢
私自身、障害当事者の一人として…非常に残念極まることではありますが…『障害のある子どもに、教 育なんか受けさせても無駄』… ということを当たり前のように言う人が、 今でもたまにいたりします。 それでも、競争社会や学歴社会…と言われ ることが日常であった、かつての昔に比べ たら… そんなことをわざわざ口に出す人は、だい ぶ減ったと思うのですけど… いや…声に出して、文字に描いて伝えてい ないというだけで、心の中でこんなことを 考えてる人は、いまだにかなり多いような 気がします。 私がまだ20代の若い頃… 『障害児に教育は必要ない』 と、目の前ではっきり口にした人たちは、 みな口々に… 『障害児に勉強を教えるには手間も時間も かかる。 同じだけの手間と時間をかけたなら、普通 の子どもであれば、ずっと効率よく学ばせ られる。 障害児の教育に注力するのは無駄が増える 』 と言っていたりしました。 一方で… 『障害のある子は、自分に障害がある状態 を選んで生まれてきたわけではないのだか ら、教育の機会も用意されているべきだ』 と言う人もいます。 そして…  『きちんと時間と手間をかけて教育さえす れば、障害のある子も、普通の人と同じよ うに暮らし、同じように考えて…同じよう に社会に出ていくことができる』 というふうに考える人が、時代が下るにつ れて、ぼちぼち増えてきているような気が します。 私も概ね、この後者の考え方に属していま す。 障害の有無を理由に、子どもの教育を諦め てはならない。 どんな子どもに対する時も…その子のため に打てるだけの手は打ち、出せるだけのも のは全て出し尽くすべきだと私も考えます 。 しかし… 『みんなが同じ』 というのが、全てにおいて素晴らしいのか …と誰かに問われたなら、それには否、と 答えたいと私は思っています。 障害のない子が通う学校にしても、学力や 能力に差は出てきますし、優秀であるから 幸せになれるとも限らなければ、落ちこぼ れだから不幸な人生を歩むとも限らない。 という考えです。 障害のある子に教育を…という最初の話に 戻ると… 確かに、支援者がどれだけ手間暇をかけた としても…知力や能力が、大人の思惑通り に発達せず、効率が悪いと感じる場面もあ るでしょう。 周りの子と同じように分かるようになるこ と、できるようになることを目指したとしても、それが必ず良い結果に繋がるとは限 りません。 では…なんのために子どもに学ばせるのか 、というと それはただ一つ 『本人が幸せになるため』 だと私は考えているのです。 たとえ高い知能が得られなくても、花の名 前をひとつ覚えれば、それだけ心が豊かに なります。 ものの名前が分からなくても、色や形や匂 いはわかるでしょう。 人に出会えば思い出が作れます。 目や耳が自由にならなくても、人生には素 晴らしい瞬間がたくさんあるはずで… みんなが同じように機会が与えられたとし ても、だからと言ってその結果まで 『みんなが同じ』 である必要は、ないのではないでしょうか 。 みんなと同じにはなれないにしても、その 子その子に合わせた、自分の幸せを探し、 見つけるために…教育というツールが必要 になるんだと思います。 たとえば…重い病気や障害で…社会に出る べき年齢まで生きられない…とされるお子 さんもいますよね。 しかし、 『まともに大人になれないなら…どうせ社 会に出られないなら、この子に勉強なんて 教えても無駄』 なんていう判断をする大人がいたならば、 絶対に、その考えは許されてはならないと 思います。 どんな子も、どんな人も…できる限り、わ かる限りの知恵と知識を身につけ、経験を 詰んで、自分で自分を幸せにする権利があ ります。  誰かの都合、何かの都合で、子どもさんた ちが知恵をつけ、知識を学ぶ機会が奪われ てはならない。 子どもから教育を奪うということは 『お前は幸せになってはならない』 と宣言されるのと同じなのではないでしょ うか。

事務局通信
去る4月23日に統一地方選挙(後半)が実施され、八王子市でも新たに市議が選任されました。それに 先立ち、障害者福祉課からの依頼もあり選 挙投票に関しての意見を求められ、投票所 での導線、足場などの環境から障害がある 方が不自由しないよう配慮がお願いできな いか伝えました。また選挙活動でも街宣な どの折に道を塞いでしまう事例があり、歩 行者への配慮ということも合わせて伝えて います。NHKのホームページに掲載され ている「みんなの選挙」というコーナーに 様々な障害のある方への配慮が具体的に紹 介されています。また各自治体で障害者へ の配慮を行っているかなどのアンケート結 果があり、多くの自治体が物理的な配慮や マニュアル作成などの実施も、今後の予定  八障連通信  Hasshoren Tsushin Vol.392 2023.4.26 八王子障害者団体連絡協議会月刊ニュースレター Tel: 090-6036-8400 E-Mail: hasshoren@gmail.com  編集部より  八障連通信 392号をお届けいたします。 4月25日、医療社団法人孝山会滝山病院に対し て精神保健福祉法そして医療法に基づき「改 善命令」を出しました。  改善命令では第三者委員会を設置しての事 件の検証や、虐待防止マニュアルを作成して の研修、虐待発見時に東京都に報告すること を職員に周知することに加えて、患者からの 相談体制整備や要請されたと報道されていま す。  精神科病院をとりまく事件報道は近年だけ でも、一例上げれば石郷岡病院、神出病院、 七生病院、ふれあい沼津ホスピタル。これら は氷山の一角です。これまで長きにわたり全 国各地の精神科病院で虐待事件の報道が続い ています。滝山病院事件単独の出来事として 捉えることでは、事件の風化は時間の問題と いえるのではないでしょうか。数々の事件の 風化に如何に抗うか課題といえるかもしれま せん。 (編集部)  もないことがわかります。何かあれば現場 職員が直接対応をとる方法が多くの自治体 で行われているようです。 ユニバーサルデザインという言葉があり ますが、なかなか予算や諸々の事情で、そ ういったところを高めようという考えは難 しいのかもしれません。市外の話ですが、 私の投票所は立て替えたばかりの中学校で 建物はとてもきれいな場所でした。しかし まだ工事中ということもあり、門から砂利 道の部分が導線上にあり、これでは歩行が 難しい高齢者や障害者は通れないなと思い ました。せめて鉄板でも引いてあれば歩き やすい(転びやすいということもあります が)かもしれません。また門から投票所の 部屋までがとても長い道のりでした。いろ んなことがあり、その場所になったのだと 思いますが、歩行が難しい方、障害がある 方の使いにくさへの無知や想像不足という ことも、そもそもあるのかもしれません。  現在は不在者投票が便のいい駅ビルなどで も行えますので便利ですが、家から近い当 日の投票所を選ぶ方もまだまだ少なくない と思います。 何の根拠もありませんが、投票所の対応 というのが何処か避難所の対応にも通じる ような気がします。何か便利なツールや環 境を整えるということよりも現場の人の対 応(器量)に任せる部分が大きいというと ころでは。そういった意味では地道で時間 はかかりますが障害者への理解や他者への 配慮という考え方を広げていくことは、誰 もが住み良い街づくりに近づけるような気 がします。  

運営委員公募について
 6月17日(土)13:30~学園都市センター 第2セミナー室で総会を開催する予定です 。今回は運営委員も任期の2年が終了し改 選となります。つきましては皆様からの運 営委員参加を切に願います。自薦、推薦を いただければ幸いです。2022年度はコロ ナがまだある中で少しずつ動き出し、福祉 フォーラムの開催なども行えました。反省 点も多々ありますが、皆様のお力をお借り して2023年度も心新たに進めればと思い ます。また、総会終了後に生活福祉課への 研修で講師派遣をした研修内容の動画を上 映する予定です。今回は対面とzoomによ るリモートとハイブリットで開催する予定 でおりますので、是非ご参加いただければ と思います。議案書等については5月の通 信に同封する予定です。

編集部より   
八障連通信 392号をお届けいたします。  4月25日、医療社団法人孝山会滝山病院に対して精神保健福祉法そして医療法に基づき「改善命令」を出しました。   改善命令では第三者委員会を設置しての事件の検証や、虐待防止マニュアルを作成しての研修、虐待発見時に東京都に報告することを職員に周知することに加えて、患者からの相談体制整備や要請されたと報道されています。   精神科病院をとりまく事件報道は近年だけでも、一例上げれば石郷岡病院、神出病院、七生病院、ふれあい沼津ホスピタル。これらは氷山の一角です。これまで長きにわたり全国各地の精神科病院で虐待事件の報道が続いています。滝山病院事件単独の出来事として捉えることでは、事件の風化は時間の問題といえるのではないでしょうか。数々の事件の風化に如何に抗うか課題といえるかもしれません。   (編集部)

連載コラム B型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久
闘病史 その74
売店の閉店時間が気になるのでナースステー ションへ訊きに行くと、必要とのこと。余りの 忙しさに新人の看護師ほどいろいろ忘れものが ある。虎の門病院では医師も看護師も胸に業務 用ピッチ(PHS)を入れており、看護師のピッ チにはスタッフ同士の連絡の他、病室で押され るナースコールも全てが入るようになっており 、そちらの用事が優先されることが多く、それ ほど大切でない用事は自然忘れられていく。ヒ ヤリハットへの第一歩ではある。彼ら、彼女ら が病室に入ってくると必ずと言って良いほどピ ッチの音が繰り返し鳴る。おちおち話などして いられない雰囲気が醸し出される。だからか最 近患者と看護師の会話が少なくなった気がする 。心細いこと限りない。 明くる18日の朝9時前に手術室に到着。手術 室でやるんだっけ?エーッ、そんな大変なこと だったっけ?と少し動揺する。9年前に初めて FRAを受けているが、10回の入院の中で一番体 調が良くなく、殆どをベッドに寝たまま過ごし ていた。その為か、多くのことをあまり覚えて いない。治療そのものはとても楽だった記憶だ けがあり、検査室のようなところで受けたよう な気がしていた。手術室という場所が醸し出し ている独特な緊張感が、事前に準備されていな かった私の心を動揺させた。 ただ、この手術室は21年前の初めての癌切除 手術の時に利用したし、2回の血管造影検査時に も利用している。馴染みのある場所ゆえ、大き な驚きはなかったが、心の準備を取り違えてい た。結婚式のつもりで行ったら、告別式だった なんてことはあり得ないか、、。深呼吸をして 、心を整えているところへ、手術着に着替えた 担当医が扉を開けて入ってきて、声を掛けてく れた。明るく朝の挨拶を交わし合えたので、気 持ちを切り替えることができた。 医師と看護師が手際よく準備をしている間に 、冷たかった手術台も肌に馴染んできた。じゃ あ、始めましょうかという声と同時に、手術着 が頭の上にまくり上げられ、視界が遮られたが 、局所部を覆うT字帯の他は真っ裸のまま手術 台の上の横たわっている自分の身体が俯瞰され た。昨日術前の説明に来た若い看護師がT字帯 についてはっきり認識しておらず、訊いてきま すと去ったまま帰って来なかったことが思い出 された。ばかったれーと毒づいてみた。 準備が整ったところで、「小濱さん、じゃあ 行きますよ~!」と声がかかった。消毒します という声が聞こえてすぐ、みぞおちのあたりが 冷たくなり、一瞬身体が強張った。案山子にな ったような気分だ。麻酔の注射が打たれてから 、エコー画像を見ながら部位の確認を慎重にし  ているようだったが、間もなくして針が刺され た。慎重に奥深くへと針が向かっている途中、 押された時の強い圧迫感を伴う深い鈍い痛みと いうか、えもいわれぬ感触がし、思わず腰が引 けそうになった。が、逆にお腹に力を入れて踏 ん張った。 前回は痛みも痒みも感じないようなあっけな さだったような気がするのだが、眉間にしわを 寄せ耐えることで精一杯だった。「じゃあ、こ れから電気流しますだったか、スイッチいれま すだったか?」定かな記憶がないが、お腹の奥 が幾分か温かくなったように感じた。ほんの数 秒の瞬間芸で、すぐ「終わったよ!」と声がか かったが、緊張していたようで身体が強張って いるのを感じた。肩にも力が入っていた。これ しきのことでと内心自分にダメ出しをしてから 、身体をほぐしていった。手術室は温度が低い ので、結構身体も冷えていた。 手術室の準備室で病棟看護師の迎えを待って 、病室へ帰った。いつかも書いたが、最近の入 院は同室患者と全く話もしないまま、名前さえ 覚えずに退院してしまうことが多い。昔なら、 大変な検査や手術で病室を出かける時は「頑張 ってね!」、帰ってきた時は「お帰り。」と言 い合ったものだが、最近は全くコミュニケーシ ョンがないのが寂しいなぁと感じる。良い意味 での励まし合いは闘病生活を益あるものとする のに、残念なことだ。その分、家族が毎日来院 する人も多く、カーテン越しに毎日話し声が聞 こえるとうるさいなと感じる時もある。




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