八障連通信398号をアップします。
以下、通信本文です。
「八王子市がインクルーシブな地域になるために」きりんさんの会 伊藤彩乃
『インクルーシブ公園』をご存知でしょうか?障がいのある 子供、言語や国籍の違う子供も、もちろんそうではない子供から大人まで誰でも気兼ねなく行けて、安心して遊べる公園のことを『インクルーシブ公園』といいます。代表的なインクルーシブ遊具として、幅の広い滑り台や円盤型のブランコ、車椅子の方でもアクセスしやすい砂場などが、日本でも徐々に認知され始めています。
私には脳性麻痺と潜在性二分脊椎という疾患のある娘がいます。滑り台やブランコが大好きですが、大半の公園の滑り台は幅が狭く、一人で歩くことの出来ない彼女を大人が介助しなが ら一緒に滑る事は出来ません。また、奇声を発してしまうためまわりに迷惑をかけてしまうと思い、満足に公園に連れていってあげることが出来ずにいました。
私は八王子市障害児の会『きりんさんの会』を運営していま すが、同じような状況にあるご家族が沢山います。また、″ま わりの目″が気になり外出さえも躊躇し、家に塞ぎ込んでしま う方もいます。現状の公園は『誰でも気兼ねなく行ける場所』 とは言えないのです。
八王子から比較的近い府中の森公園がインクルーシブ公園として生まれ変わったと聞き、早速お友達家族と行ってみました。そこは小さな赤ちゃんからわんぱくな子まで誰でも楽しめるような遊具がたくさんあり、とても賑わっていました。 また、娘と「これどうやって遊ぶんだろうね?」と話していると、近くにいた子供が「こうやるんだよ!」と私達に話しかけながらお手本を見せてくれました。いわゆる″健常″の子供と気軽に交流が出来た瞬間でした。
小さい頃から障がいのある子供が近くにいて交流をしていれ ば、「障がいのある方のことをよく知らないからどう接したらいいのかわからない」「自分と違うからなんとなく怖い」...などと考える方も少なくなると思います。またどんな子供でも遊びやすい遊具は、よちよち歩きの赤ちゃんにとっても遊びやすく、赤ちゃんのいるご家族が家から出るきっかけ作りにもなる ため、産後の孤立化も防ぎます。
公園をきっかけに地域交流の活性化を図り、八王子市がもっ ともっと住みやすく優しいインクルーシブな地域になるよう願っています。
私には脳性麻痺と潜在性二分脊椎という疾患のある娘がいます。滑り台やブランコが大好きですが、大半の公園の滑り台は幅が狭く、一人で歩くことの出来ない彼女を大人が介助しなが ら一緒に滑る事は出来ません。また、奇声を発してしまうためまわりに迷惑をかけてしまうと思い、満足に公園に連れていってあげることが出来ずにいました。
私は八王子市障害児の会『きりんさんの会』を運営していま すが、同じような状況にあるご家族が沢山います。また、″ま わりの目″が気になり外出さえも躊躇し、家に塞ぎ込んでしま う方もいます。現状の公園は『誰でも気兼ねなく行ける場所』 とは言えないのです。
八王子から比較的近い府中の森公園がインクルーシブ公園として生まれ変わったと聞き、早速お友達家族と行ってみました。そこは小さな赤ちゃんからわんぱくな子まで誰でも楽しめるような遊具がたくさんあり、とても賑わっていました。 また、娘と「これどうやって遊ぶんだろうね?」と話していると、近くにいた子供が「こうやるんだよ!」と私達に話しかけながらお手本を見せてくれました。いわゆる″健常″の子供と気軽に交流が出来た瞬間でした。
小さい頃から障がいのある子供が近くにいて交流をしていれ ば、「障がいのある方のことをよく知らないからどう接したらいいのかわからない」「自分と違うからなんとなく怖い」...などと考える方も少なくなると思います。またどんな子供でも遊びやすい遊具は、よちよち歩きの赤ちゃんにとっても遊びやすく、赤ちゃんのいるご家族が家から出るきっかけ作りにもなる ため、産後の孤立化も防ぎます。
公園をきっかけに地域交流の活性化を図り、八王子市がもっ ともっと住みやすく優しいインクルーシブな地域になるよう願っています。
連載コラム Vol.74 『インクルーシブ遊具ワークショップ』 八障連代表 杉浦 貢
9月の20日に、市内上柚木公園にて障害のあるお子さんも障害のないお子さんと同じように、一緒に遊べる……『インクルーシブ遊具』の設置に向けたワークショップに出席してきました。とりあえず私……杉浦の意見としては、『遊具設置だけではインクルージョンな環境は促進しない』ということを発言してまいりました。
日本の保育または教育の分野では、長年に渡り、障害の有無によって子どもさんの育つ環境が分けられていくのが当たり前とされてきました。
いずれ将来は、一つ同じになるにせよ……現時点の社会状況では、まだまだはっきり分けられているのが一般的です。障害のない子は障害のある子と触れ合う機会がなく、障害のある子もまた障害のない子と触れ合う機会がありません。そこにただ、遊具だけがあっても、いきなり『みんな楽しくなかよしこよし』な状態が作られるとは、容易には想像しにくいのです。
遊具設置の意味や意義を、まず私たち市民が正しく理解していなければ、せっかく良いものを作っても、宝の持ち腐れになってしまいます。
遊具設置と同時に、相互理解を目的にした交流、啓発の活動も続ける必要があると思っています。
この日は八障連から代表の杉浦と、運営委員の恒川礼子さん他にも、八王子特別支援学校(PTA)、八王子西特別支援学校(PTA)、八王子東特別支援学校(PTA)、多摩桜の丘学園(PTA)、障害のあるお子さんを支援する親御さんの
集まり……きりんさんの会からそれぞれ各団体より1~3名ほどの参加があったようでした。
公園遊具はもちろんのこと障害のあるお子さんが公園で安心して過ごすためには……例えば段差の解消、駐車場の整備、ゆっくり休憩出来る木陰スペース、水道など、様々なものが必要となりますが……ワークショップの場では、広さに余裕のあるだれでもトイレの設置、だれでもトイレへのユニバーサルシートの設置などの意見が出されていたと記憶します。
いずれも、予算とのバランスがあることなので、どこまで実現するかは未定ですが……
日本の保育または教育の分野では、長年に渡り、障害の有無によって子どもさんの育つ環境が分けられていくのが当たり前とされてきました。
いずれ将来は、一つ同じになるにせよ……現時点の社会状況では、まだまだはっきり分けられているのが一般的です。障害のない子は障害のある子と触れ合う機会がなく、障害のある子もまた障害のない子と触れ合う機会がありません。そこにただ、遊具だけがあっても、いきなり『みんな楽しくなかよしこよし』な状態が作られるとは、容易には想像しにくいのです。
遊具設置の意味や意義を、まず私たち市民が正しく理解していなければ、せっかく良いものを作っても、宝の持ち腐れになってしまいます。
遊具設置と同時に、相互理解を目的にした交流、啓発の活動も続ける必要があると思っています。
この日は八障連から代表の杉浦と、運営委員の恒川礼子さん他にも、八王子特別支援学校(PTA)、八王子西特別支援学校(PTA)、八王子東特別支援学校(PTA)、多摩桜の丘学園(PTA)、障害のあるお子さんを支援する親御さんの
集まり……きりんさんの会からそれぞれ各団体より1~3名ほどの参加があったようでした。
公園遊具はもちろんのこと障害のあるお子さんが公園で安心して過ごすためには……例えば段差の解消、駐車場の整備、ゆっくり休憩出来る木陰スペース、水道など、様々なものが必要となりますが……ワークショップの場では、広さに余裕のあるだれでもトイレの設置、だれでもトイレへのユニバーサルシートの設置などの意見が出されていたと記憶します。
いずれも、予算とのバランスがあることなので、どこまで実現するかは未定ですが……
⚫公園や遊び場が「インクルーシブ」である意味について遊びは子どもの権利であります、子どもの基本的人権を国際的に保障する「子どもの権利条約」は……1989年に採択され、日本も1994年に批准しています。その第31条に「遊ぶ権利」の条項があり、子どもの年齢に適した遊びをする権利があると記されています。しかし、公共の場でありながら、思うように公園で遊べない子どもたちがいます。それは、障害のある子どもたちです。障害のある子どもたちも含めたすべての子どもたちが公園や遊び場でのびのびと遊ぶためには、あらゆるケースを想定したつくりの公園施設や遊具が必要ですし、共に遊ぶほかのお子さんたちの理解も重要なポイントです。公園や遊び場がインクルーシブになることで、障害の有無にかかわらずに豊かな交流が生まれというメリットがあります。
⚫障がいの有無に関わらず遊べる未来へ
東京都は『「だれもが遊べる児童遊具広場」整備のガイドライン』の中で、現状と課題を次のように触れています。《だれもが遊べる児童遊具広場」は、特別な遊具を設置する広場だと考えられている。そのため、自治体によっては整備に慎重な場合も多い。本来公園はだれでも利用できるものであり、障がいの程度によっては、アクセシビリティ※の改善や保護者等の協力次第で一般の遊具を利用することも可能である。まずは、みんながその特性を理解し、障がいの有無に関わらず、子どもたちが一緒に遊ぶことの大切さを整備計画に反映することが課題となる。》
※アクセシビリティ:近づきやすさ。利用のしやすさも含む。出典:東京都建設局 「だれもが遊べる児童遊具広場」整備のガイドラインについて 「現状と課題」https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000052186.pdf
障がいを持つ人……それぞれの困難さや特性について、この社会で生きる一人ひとりが理解を深め、それを子どもたちにも伝えていくことが大切です。
インクルーシブ遊具をきっかけに、子どもたちが多様な人と共に生きる社会の意義や重要性を認識できるようになるとよいのではないでしょうか。
⚫障がいの有無に関わらず遊べる未来へ
東京都は『「だれもが遊べる児童遊具広場」整備のガイドライン』の中で、現状と課題を次のように触れています。《だれもが遊べる児童遊具広場」は、特別な遊具を設置する広場だと考えられている。そのため、自治体によっては整備に慎重な場合も多い。本来公園はだれでも利用できるものであり、障がいの程度によっては、アクセシビリティ※の改善や保護者等の協力次第で一般の遊具を利用することも可能である。まずは、みんながその特性を理解し、障がいの有無に関わらず、子どもたちが一緒に遊ぶことの大切さを整備計画に反映することが課題となる。》
※アクセシビリティ:近づきやすさ。利用のしやすさも含む。出典:東京都建設局 「だれもが遊べる児童遊具広場」整備のガイドラインについて 「現状と課題」https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000052186.pdf
障がいを持つ人……それぞれの困難さや特性について、この社会で生きる一人ひとりが理解を深め、それを子どもたちにも伝えていくことが大切です。
インクルーシブ遊具をきっかけに、子どもたちが多様な人と共に生きる社会の意義や重要性を認識できるようになるとよいのではないでしょうか。
連載コラム B型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久
手術後の回復は順調で、年末が迫る26日に退院となった。その足で普段世話になっている喫茶店「馬天使」へ挨拶がてら顔を出した後は家で安静にしていた。年が明けた2日は毎年恒例の親戚の顔合わせに出かけた。入院のことは言ってなかったので、普段通り顔を出して癌のことや手術のことは黙っていた。
夕飯時はおせち料理に日本酒。お正月用に少し美味しい地酒を用意してくれていた。はじめて知る銘柄だが、正月にふさわしい美味しい純米酒だった。1ヶ月振りのお酒は身体の隅々まで染み入るようで、手足の指先まで喜び震えているようだ。「それは酔っているだけでしょ!」ってか。5日にはうずうずしてきて、テニスコートへ出かけてしまった。私の姿を見て、みなびっくりしていた。もう戻って来ないのではと考えていた人もいただろうから、驚きもひとしおだったかもしれない。親しくしていた人は、「もうテニスして
も大丈夫なの?」と心配して下さった。大丈夫かどうかは身体が一番知っていること。身体と相談しながら、3時間ばかりプレーした。気持ち良かったことと言ったらなかった。テニスも1ヶ月振りだ。
そして高尾山には10日に登り、時々しか行かない薬王院へも廻って初詣でをした。神も仏も信じないのだが、たまにはどの宗派であれ、手を合わすこともある。これもその時々の気持ち次第、身体の動きに任せている。トレッキングも快適で、とても気持ち良かった。なにより汗をかくというのが好きなんなぁだと我ながらつくづく思った。
仕事で汗をかくということは全くないから余計かもしれない。仕事では冷や汗ばかり、脳内は汗だらけかもしれないのだが、、。
25日は虎の門病院の外来だった。普段は3ヶ月に1度の割合なのだが、手術後の経過観察も兼ねて早い外来となった。血液検査の結果に問題はなく、術後の経過は良好だった。「テホノビル」という新しい薬の冊子を私に差し出しながら、ウイルスさえ消えれば癌にはならなくなるのだがと熊田Drが小さく口にした言葉に応えて、癌治療後の絶妙なタイミングだったからか、「やってみましょうか。」という言葉が思わず口をついて出た。
自分の言葉を聞いて、「エーッ、そうだっけか?」と内心では反芻していた。
2000年に「ラミブジン」というB型肝炎に対するはじめての経口抗ウイルス剤が認可され、核酸アナログ製剤が日本でも使えるようになった。恐らく熊田Drからは治験の段階で冊子を渡され、強く薦めはしないがこういうのが出たよと情報はもらっていた記憶がある。ステロイド離脱療法、インターフェロン療法も有効に働かず、1991年から注射をし続けている強力ミノファーゲンC(以下強ミノ)はウイルスを消滅させるような力を持たず、言わば対症療法的な二次的手段にすぎないのだが、新薬に飛びつく気持ちにはなれなかった。
一度使い始めると長期にわたって継続しなければならないということがどこか引っかかったし、私の身体は乗り気の姿勢を示さず、強ミノを打ち続けていれば良いと判断してきた。その後、ウイルスの耐性変異体ができる人もいることが分かり、選択しなかったことにホッとした感じもした。
抗生物質乱用による耐性菌問題が一部では大きな問題ともなっていた。その耐性変異体株を抑制するために2004年に「アデホビル」、2006年には変異株出現率の低い「エンテカビル」、2016年には「テノホビル」が認可された。
次々に新しい薬が開発され、あれこれ考えることもあり、家庭医でもある山田Drとも幾度か話をした。彼の友人の女医さん(私と年齢がそう変わらないか)から同じような質問をされ、「止めておけばと言った。」と仰っていた。ウイルスの消失率は高いのだが、中止後の再燃率が高く、ある意味では一生飲み続けなければならないものと思われる。
たまたまだったのだろうが、強ミノの注射が終了となったその1か月後に3回目の癌治療を行っている。今回の癌(4回目)は9年5ヶ月目だった。
何事も行わず、癌治療を繰り返しながら座してただ死の訪れを待つというのはなんとももどかしい感じもある。肝硬変が軟化する人もいるというのに。強ミノを打ち続けられていれば、選択しなかった治療だろうと思われるのだが、、。
通信本文はここまで。
夕飯時はおせち料理に日本酒。お正月用に少し美味しい地酒を用意してくれていた。はじめて知る銘柄だが、正月にふさわしい美味しい純米酒だった。1ヶ月振りのお酒は身体の隅々まで染み入るようで、手足の指先まで喜び震えているようだ。「それは酔っているだけでしょ!」ってか。5日にはうずうずしてきて、テニスコートへ出かけてしまった。私の姿を見て、みなびっくりしていた。もう戻って来ないのではと考えていた人もいただろうから、驚きもひとしおだったかもしれない。親しくしていた人は、「もうテニスして
も大丈夫なの?」と心配して下さった。大丈夫かどうかは身体が一番知っていること。身体と相談しながら、3時間ばかりプレーした。気持ち良かったことと言ったらなかった。テニスも1ヶ月振りだ。
そして高尾山には10日に登り、時々しか行かない薬王院へも廻って初詣でをした。神も仏も信じないのだが、たまにはどの宗派であれ、手を合わすこともある。これもその時々の気持ち次第、身体の動きに任せている。トレッキングも快適で、とても気持ち良かった。なにより汗をかくというのが好きなんなぁだと我ながらつくづく思った。
仕事で汗をかくということは全くないから余計かもしれない。仕事では冷や汗ばかり、脳内は汗だらけかもしれないのだが、、。
25日は虎の門病院の外来だった。普段は3ヶ月に1度の割合なのだが、手術後の経過観察も兼ねて早い外来となった。血液検査の結果に問題はなく、術後の経過は良好だった。「テホノビル」という新しい薬の冊子を私に差し出しながら、ウイルスさえ消えれば癌にはならなくなるのだがと熊田Drが小さく口にした言葉に応えて、癌治療後の絶妙なタイミングだったからか、「やってみましょうか。」という言葉が思わず口をついて出た。
自分の言葉を聞いて、「エーッ、そうだっけか?」と内心では反芻していた。
2000年に「ラミブジン」というB型肝炎に対するはじめての経口抗ウイルス剤が認可され、核酸アナログ製剤が日本でも使えるようになった。恐らく熊田Drからは治験の段階で冊子を渡され、強く薦めはしないがこういうのが出たよと情報はもらっていた記憶がある。ステロイド離脱療法、インターフェロン療法も有効に働かず、1991年から注射をし続けている強力ミノファーゲンC(以下強ミノ)はウイルスを消滅させるような力を持たず、言わば対症療法的な二次的手段にすぎないのだが、新薬に飛びつく気持ちにはなれなかった。
一度使い始めると長期にわたって継続しなければならないということがどこか引っかかったし、私の身体は乗り気の姿勢を示さず、強ミノを打ち続けていれば良いと判断してきた。その後、ウイルスの耐性変異体ができる人もいることが分かり、選択しなかったことにホッとした感じもした。
抗生物質乱用による耐性菌問題が一部では大きな問題ともなっていた。その耐性変異体株を抑制するために2004年に「アデホビル」、2006年には変異株出現率の低い「エンテカビル」、2016年には「テノホビル」が認可された。
次々に新しい薬が開発され、あれこれ考えることもあり、家庭医でもある山田Drとも幾度か話をした。彼の友人の女医さん(私と年齢がそう変わらないか)から同じような質問をされ、「止めておけばと言った。」と仰っていた。ウイルスの消失率は高いのだが、中止後の再燃率が高く、ある意味では一生飲み続けなければならないものと思われる。
たまたまだったのだろうが、強ミノの注射が終了となったその1か月後に3回目の癌治療を行っている。今回の癌(4回目)は9年5ヶ月目だった。
何事も行わず、癌治療を繰り返しながら座してただ死の訪れを待つというのはなんとももどかしい感じもある。肝硬変が軟化する人もいるというのに。強ミノを打ち続けられていれば、選択しなかった治療だろうと思われるのだが、、。
通信本文はここまで。