_指導する選手、契約するクラブ。
メディア環境や、サポーターやスポンサーとの関係。
どこかが変わるだけで、監督の条件も変化します。
_仮に若い選手を引き抜かれて、ベテランを補強した場合。
監督がそれまでの様に、若手と同じ様なスタンスでベテランと接する事は難しい。
ベテランを指導する経験は、監督を長く続けていかないと身に付かないのではないか?
この事は、恐らく新任監督がベテランを煙たがる一つの要因になっている。
_契約するクラブが、人気や財政面でランクが付けられているとして……。
能力に優れた監督であれば、どの様な悪条件であっても……。
問題は時間を追う毎に、結果を伴って解決してくれる筈である。
では人気や財政面が整ったクラブが、額面通りの成績を挙げたとして……。
それで問題が、起こらないという訳でも無い。
優れたクラブは、結果だけでは無く……。
その過程をも、重要視される。
_掘り下げて考える。
GKながら、ニンゲン離れしたシュート能力を持っているとして……。
前線へのロングフィードを送る感覚で……。
超ロングシュートを相手ゴールに見舞いし、得点を重ねていたとしよう。
シュートブロックするには、セットプレーの守備時にやるように……。
自陣ゴール前に、フィールドプレーヤーが立つか?
はたまた、シュートを打とうとするGKに肉薄しなければならない。
_相手チームが対策を立てるにしろ、普通の戦術の範疇から超えた役割を選手に与えねばならなくなる。
結論から言えば、GKのシュートで勝利を重ねたとしても……。
サポーターから、受け入れて貰えない可能性もあるという事だ。
ある種の暴力にも相当する、異次元の能力が競技の本質を破壊してしまう。
それが例え勝利という結果に連なっていたとしても、拒絶はあり得る。
_この事からサッカーは紳士的な振る舞いは勿論、作法に則ったプレーも求められる側面がある。
イタリアでは、GKがトリッキーなプレーをすると嫌悪されるそうだが……。
南米等では、GKの技術も披露する事に関して失敗しない限りは歓迎される面もある。
スペインでは、闘牛の様に徹底して相手を叩きのめす事に対して熱狂が起こる。
対して、イタリアではサッカーを一つのお祭りとして……。
開始早々に5点差等がついたとしても、お祭りムードに水をさす側面もある様だ。
ウノゼロの美学とは、お祭りムードに最大限の敬意を払った上での勝利と言える。