困った。
今朝は書きたいことが浮かばない。
普段だと、浮かばないと言ったってジグゾーパズルのピースのような、なにがしかのかけらのようなものは浮かぶのに…今朝に限っては、そういうものも全く浮かばずに、ただぼんやり惚けるようにパソコンの前に座っているだけで、気付けば降っていた雨は止み、外はすっかり明るくなっている。
ピースの5、6個もあれば、一つ一つが直接つながっていないにしろ、それらをもてあそんでいるだけで何かは浮かんでくるはずなのだ。
だから、困った時はそうやって何かをひねり出すことはそう難しいことでもなのだ。
しかし今回ばかりはそれすら浮かんでこないというのだから始末が悪い。
つまり、頭がまるっきり回転していないわけだが、最近こういうことが少なくないように思う。
誰かさんのセリフのようにボォ~ッと生きている証拠だろう。
ジジイの特性? なんていうと、しっかりと頭と五感を働かせ、カクシャクと暮らしているご老体たちに申し訳が立たないから慎むとして、やっぱり個体としてのボクに劣化現象が忍び寄ってきているんだろうか。
〝ローカ〟って言うのは行ってみれば自然現象なんだろ?
程度や時間差こそあれ、だれにでも平等にやって来るもの。
つまり、抗おうったって抗えないのがローカならば、〝レッカ〟ってのはイメージとしてまだまだ使えるものをほったらかしにしてしまって錆びつかせたり、あるいは油切れで他の部品とこすれ合ってスムースに回転しなくなってしまうとか、いわば手入れの悪さに起因しているんじゃないのかね。
2、3年前にヨコスカ在住の尊敬するプロテスタントの神父さんから頂戴した年賀状に「錆びつくよりも擦り減る方がいい」と書いてあったのは、多分こういうことだろう。
この神父さんは90歳を過ぎてなお、人の前に立って話をされていて、去年は著作まで出版されたのだ。
持って生まれたDNAが違い過ぎるってこともあるんだろうが、世の中には高い山はあるものだとつくづく思い知らされる。
オレはヤダ、絶対にイヤだっていう人もいるだろうけど、できるかできないかは別として、ボクは心情的には「錆びつくよりも擦り減る方がいい」という言い方は嫌いじゃないんだな、これが。
だから今日まで覚えてるってわけだ。
ただし、「好き」か「嫌い」っていう分け方と「できる」「できない」ってのは全く別物なんですね。それが世の中なんですよね。
そして決定的な違いは、錆びつかせるのに意思は不要だが、擦り減るまで動かすってのには意思が必要ってことなんだよな。
それも相当強い意思が。
ちょっと反省しよ。サルでもできるそうだけど…
円覚寺黄梅院で「わぁ~キレイ」と声を上げている人もいたけれど、ボクは何だか違和感を感じたなぁ。青空だったら印象も変っていたんだろうけど…。品種は?
同じ庭に深紅のツバキが。見たことも無いような濃い赤だった。こっちには違和感なし
仏殿の裏で遅咲きのサクラと白いツツジが仲良く咲いている。この辺りが季節の境目なんですかね