特定秘密保護法が施行されたのである。5時間が経ったことになる。
由らしむべし、知らしむべからず。
施行をを機に、そういう気分はますます強まっていくんだろう。
特に、国民に漏らせば大騒ぎになってしまうようなことは、権力を持つ側なら、極端にいえば何でも、秘密にしておくことが可能になる。
こういう法律を手にすると、小賢しい役人や悪知恵の働く政治家などにとっては“なんでも可能な魔法の杖”に見えるのではないか。
子どもは気に入ったおもちゃを飽きずにいじくり回す。水鉄砲を買ってもらった子どもは必ず人に水をかける。それが人間なのである。
必要がなくても、悪気がなくても使ってみたがるものなのだ。
確信犯の権力者が手にしたらどうなるか。
原子力発電所のことなどは「国を守る観点から」などという理由は簡単につけられるだろうから、危険な事柄やコストをかけずに運転していく上で不都合なことはすべて秘密指定にされかねない。
知らなきゃのんきに暮らせるわけだが、あれっ ! と気がついた時は取り返しがつかなくなっているだろう。
この法律が厄介なのは、隠されたものが何であるのかすら分からないところにある。国民の目には何事も見えないのである。
何事もないものに反応は不可能である。例え賛意であっても表わすことはできない。いわんや疑問においておや、である。
国民主権が聞いてあきれる。
今の為政者はそういう考えなのである。しかし、これを選んだのも国民である。そんなことしてくれとまで頼んだつもりはないと思っても、そこが権力の怖ろしいところであって、しっかりと監視し、批判を加えていかなければ権力は好き勝手なことをやり始めるのである。
今回の総選挙で、主権者たる国民が「調子にのっちゃあいかんよ」と言えるかどうかだ。
それが一票の大切な行使というものである。
この法律は一刻も早く廃止しなければいけない。
それまでの間、メディアは監視を強めないといけない。しかし、事は簡単ではない。取材力が落ちてきているメディアはどこまで奮起できるか。議員や公務員の口封じも法律に明記された。「こんなことが秘密にされていますよ」と漏らしてくれる勇気ある公務員がどれだけ出てくるか。国民のことを考える政治家がどれほど現れるか。
日本にとって正念場ですな。
世界の中心に立って冷ややかな視線を浴びるより、極東の端っこで、勤勉で、創意工夫に富んだ、穏やかで、例え貧しくても心豊かに暮らす民族の一員でいたい。

近所の散歩道。笹の緑が初冬の色とはちょっと違う色合いを醸している

竹林と照葉樹林のトンネルの先にススキの枯れ穂が陽の光を浴びて光る