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平方録

九州紀行 その4

薩摩路3日目、最終日。

この日もよく晴れ、気温は25℃を超える夏日に。

投宿した指宿から鹿児島市内に戻り、午後には解散となる。
前夜、来年は徳島で開催することに決まった。
徳島の友人は「平家落人伝説のある伊谷と鳴門の渦潮、それに阿波踊りくらいしか見るべきものがない」と言っていたが、別に観光が目的ではなく、旧交を温めるために集まるのであって、観光は付け足しのようなものだから余計な心配は無用なのだ。
とにかく夫婦そろって元気に集まれればいいのである♪
ボクの個人的な希望が通るなら、お遍路の1番札所霊山寺から2番極楽寺くらいまで歩いてみたい。
ネットによれば6番札所の安楽寺までは1日で回れ、しかも平坦だというから、丸1日を遍路に費やすという手もある。
どうなるか楽しみ。
旧交を温めた後には同じ四国の愛媛まで足を延ばし、姫と妹君に会ってこよう♪
 
 

指宿からジャンボタクシーで鹿児島市内に戻り、観光名所の城山から眼下に広がる市街と桜島を眺める


西南戦争で政府軍と戦って敗れた薩摩軍将兵2000人余りが眠る墓地


西郷隆盛の墓の前で手を合わせてきた 


錦江湾沿いまで降りてきて薩摩藩が西洋の技術を導入して近代化へと舵を切った足跡をしのぶ


近代化のシンボルは鉄の自力生産
鉄を作り出すため当時は反射炉の建設が必須だったが、ノウハウがないだけに建設は難航を極め、それでも藩主島津斉彬は「西洋人も人の子であろう、(すでに建設に成功していた)佐賀鍋島藩士も人の子である。同じ人の子ならば薩摩に出来ないことはない」と言って、建設に取り組む藩士たちを根気強く励まし、成功へと導いたとされる
以前訪れた長州・萩でも反射炉跡地を見物したが、長州でも何度も失敗し、建設は難航した。しかし、いち早く反射炉建設に踏み切って近代化への挑戦を続けた2つの藩を中心に明治維新が起こったことは興味深い


園内では菊花展のようなものが開かれていた


珍しいなと感じたのは、関東にも小菊を使った懸崖仕立てというものがあるが、主流は1本仕立てにした株の頂に大輪の花を咲かせて妍を競うものだが、御当所では小菊ばかりで1本立ちは見かけなかったこと
ところ変われば何とやら…で、これもまた「へぇ~」「ほぉ~」だった
 

園内のレストランで昼食に郷土料理の「鶏飯」を食す


ほぐした鶏肉、干しシイタケ、錦糸卵、パパイヤのみそ漬けなどを白いご飯の上に乗せ、鶏がらスープをかけてお茶漬けのようにして食べる
奄美地方の郷土料理だそう
鹿児島本土から海を渡ってやってきた薩摩藩の役人の威圧的な態度を和らげるため、当時はとても貴重だった鶏をつぶし、御馳走に代えて供したのが始まりで、最初は炊き込みご飯だったそうだが、のちに鶏がらスープをかけるアレンジが登場してそれが主流となったんだそうな
鶏がらスープの味が効いていておいしかった♪


さらに奥に進むと薩摩藩主の別邸が現れる
 
鏡のように静かな錦江湾越しに桜島の雄大な姿が浮かぶ絶景を独り占めして別邸は建てられている
 
この絶景を目に焼き付け、4年越しで開催された2泊3日のわれらの集まりも終了
名残を惜しみつつ、鹿児島中央駅経由で鹿児島空港へと向かった


ボクと山の神は九州内を移動し、2泊してから帰る計画で、九州新幹線で博多へと向かう

徳島の友人は14:45発の列車の指定席を取っていたようで、挨拶もそこそこに改札口に小走りで向かった
ボクらは自由席なので慌てる必要もなく、駅に近づいたときに駅ビルの屋上に大きな観覧車があるのに目を止め、天気も良いことだし、あれに乗って桜島に別れの挨拶をしようじゃないのということになった
 

きれいに整備された駅前の街並みを見下ろしながら観覧車のゴンドラは上へ上へと昇っていく


ついにてっぺん 曲がりくねった川の流れが見え、桜島がどこで見たよりも大きくわれらに迫って来る♪


吹き上げる水蒸気が冷やされてできた雲の塊を帽子のように被った桜島は滞在中いつもその雄姿を見せ続けてくれた


そしてホームに上がり、列車が動き出すまでずっと見送ってくれたのだった♪


そして1時間半後、ボクと山の神は博多駅に降り立った


夕方6時過ぎのこととあって、帰宅ラッシュと重なった駅とその周辺は勤め人や観光客で想像以上にごった返していた


イルミネーションが輝く駅前広場は東京の新宿とか渋谷の人込みを連想させるほど
 

駅近くのホテルに荷物を置いて中州までぶらぶら歩く


有名な中州の屋台でおでんか焼き鳥を肴に1杯やってみようじゃん、というのが目的


インバウンドを含め、中州一帯はお祭りのような賑わいで、どの屋台も空席はなし


少し並んで待つと、運のいいことに座れた
注文にはルールがあると言い、「何品頼んでもいいが、注文は最初の1度だけでお願いします」ということだった
なるほど、回転がいいはずである


注文したのは焼き鳥5本セットと卵焼き、それとモツの煮込みのはずが焼かれて出てきたモツ焼き
似たようなものなので細かなことは言わず、黙って食べた
飲み物は芋焼酎の湯割り
料金は1人当たり2,000円余り 遊山で飲み食いしているのだから、こんなもんだろう
味もそこそこだった


屋台を出た後、博多ラーメンで締めようとネットで調べると、歩いて5分程度のところに元祖長浜ラーメンの本店があるのがわかり、そこに行ってみる


大昔、NHkの番組で博多ラーメンの元祖が長浜ラーメンと名乗ったリヤカーの屋台から始まったことを知り、ハハァ~ンと思って足を向けたのだった
長いカウンターだけの店内で切り盛りしていたのは、なんと東南アジアかインド系の外国人
「麺は堅めか、スープは濃い目かそれとも…」なんて聞かれて、オイオイという感じだったが…


「ネギたっぷり」と注文した長浜ラーメン


カウンターには紅しょうがの細切りがどっさり置いてあり、食べ進むうちに乗せて一緒に食べるとしょうがのピリッとした味がアクセントになってより一段美味しくなった
あまりラーメンを好まない山の神が、「これトンコツなの?」とびっくりするくらい、さっぱりした味で、「おいしいわね」と言ったのにはいささか驚いた
ボクも、こてこてにこねくり回したようなこれ見よがしの博多ラーメンは好きではないが、この「元祖」はさすが「元祖」を名乗るだけはあると感じた


腹もくちくなり、歩いてホテルに戻るのもおっくうになり、目の前に入り口があった地下鉄中洲川端駅から一駅乗って博多駅へ
新しい駅らしく、きれいでピッカピカの駅で、乗った電車もピッカピカだった
博多の街は元気だというが、重要なインフラの一つとってもそのことがわかるような気がした
 
 
 
 
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