薩摩路2日目。
快晴にして25℃を超える夏日。
知覧の武家屋敷での郷土料理の昼食や特攻平和会館の見学の後、2日目の宿のある指宿に向かう。
同じ悲劇がウクライナや中東で起きている(知覧特攻平和会館)
特攻平和会館のおぞましい三角兵舎の残像が目の裏に焼き付いているせいか、薩摩の景色はどこを見ても「三角形」である
東シナ海に面した瀬平自然公園から見た絵葉書のような開聞岳
16:31 開聞岳の右肩に日が隠れた(走行中のジャンボタクシーの窓越しに撮影)
…と思ったら…16:32、今度は左肩から日が差しかける
道が空いているせいもあって、あっという間に開聞岳のすそ野を回りこんで車は進んだ
ボク的には思いがけないところに到着する
西大山駅…鉄道好きならだれでも知っている駅♪
北緯31度11分 日本最南端に位置する駅である
鎌倉と藤沢を結ぶ江ノ電の相模湾に面した鎌倉高校前駅が北緯35度19分である
緯度は1度につき110㎞だそうだから西大山駅と鎌倉高校前駅との単純な南北間距離は440㎞ということになる
これは東京~京都間の距離に匹敵するから、なかなかのものである
いつかは列車でこの駅に降り立ちたい…と思っていたが、まさか車でいきなり連れてこられ、こうしてホームに立っているとは…
すると、運のいいことに踏切の警報機が鳴りだし、列車が近づいてきた♪
指宿枕崎線西大山駅に停車する列車本数は上りの鹿児島中央行きが1日8本しかない。
この前に列車がやってきたのは2時間前の14:34だし、次は19:43まで待たねばならない
下りの枕崎行きは1本少ない7本しか走っていないのだから、列車に出会えるのも僥倖と言っていい♪
ただし、日が沈む前に来てくれっ、という願いはわずかの差で叶わなかった
ボクら一行がホームに上がった時、すでに大きな旅行鞄を抱えた日本人2人が列車を待っていたが、どこから湧いてきたのか、12,3人の隣の大陸からの旅行客とみられる一団がホームに入ってきた
結局、列車が到着する寸前に小さなホームは20人を超す人でにぎわったのだが、列車に乗り込んだのは最初から待っていた2人だけ
ワンマン運転の運転手さんも、こんなことは慣れているのかもしれないが、大勢の人をホームに残し、列車は汽笛を軽く鳴らして発車していった
列車はキハ40系といって国鉄時代の1977年から製造が始まった車両
どっこい南九州の最南端で生き残って活躍を続けているわけだが、そこは寄る年波の老兵
塗装はくすみ、車両前面の「顔」にも"老い"の陰が色濃く表れていた
窓ガラスも洗車などしたことがないかのように黄色くくすんでしまっていて、これではせっかくの風光明媚な景色も台無しだろうと思った
乗りもしないで、こんなことをいうのもおこがましいが、せめて窓ガラスくらいきれいに洗ってよJR九州さん
看板列車の「ななつ星」のようには稼げないにしても、これじゃ長年、安全に大勢の乗客を運び続けてきた列車に対するリスペクトのかけらもないじゃん
数は少ないとはいえ、何より乗客ががっかりしてしまう
まだ枕崎まで乗る机上のプランは持ち続けているんだからさ…
2日目の宿は砂蒸し温泉で名高い指宿温泉の老舗旅館
2004年12月に当時の小泉純一郎首相が韓国の廬武鉉大統領を招いてシャトル外交の第一歩を踏み出した際に使われた旅館
夕食は幹事役の地元の友人推奨の旅館内のイタリアレストランでイタリアンのコース料理
都合で1人が帰郷したが残る9人の食欲は旺盛で、当然食中酒のワインの消費もよどみがない
ほぼ料理ごとに1本を明けるペースで酒瓶を転がした(…品のいいレストランだから実際には転がしたりしませんけどね、表現上のアヤってやつです それと、ここに写っている以外に撮り忘れた品があったように思うが何だったか忘れた)
デザートは別腹で、奥のチョコレートのケーキがおいしかった♪
砂蒸し風呂の写真は旅館のホームページから拝借
日韓会談が行われた旅館だが、両首脳が砂蒸し温泉で砂をかぶったかは分からない
ボクはこの旅館に泊まるのは2度目
砂蒸し温泉で全身に砂をかけられると、つくづく「生き埋めになるとはこういう感じか」と思うのである