美声の持ち主だということで、わざわざ中国大陸から連れてこられてペットとして売られていたものが逃げ出したり、売れなくなって始末に困った挙句、放鳥されたりして定着したようである。
1970年代のことだそうだ。
確かに鳴き声は澄んでいてきれいである。しかし、如何せん声が大きい。大きすぎるほどである。しかも、一度鳴き始めるとかなり長い時間、気持ちよさそうに囀り続けるのだ。
ボクはおいしいものは腹いっぱい食べなければ気が済まない、というような性格ではない。
ある程度口にできれば満足する方で、第一、いくらおいしいからと言っても腹いっぱい詰め込めば、げっぷは出るだろうし、胸やけもするだろう。
そもそも、モノには限度というものがあるのだ。
だからガビチョウがやってきて、チュルリチュルリ、チィ~ヨピィ~ヨなどと甲高く鳴き始めると、うるさいなぁ~と感じてしまうのだ。
美声の持ち主というだけでなく、物まね名人でもあるらしく、ウグイスやオオルリの鳴き声などをまねるのは朝飯前らしい。
しかし、いかに美しく鳴いたとしても、ひっきりなしに続けられると、美声を通り越して騒音に代わってしまうのでは、始末が悪い。逆効果である。
だから、ウグイスがわが家の庭や周辺にやってきてホォ~ホケキョォ~というおなじみの鳴き声や、谷渡りの声を響かせるたびに、何という簡潔さ、何というさわやかさ、鳥の鳴き声はかくあるべし、とつくづく思うのである。
漢字表記では「眉を描く」意味の「画眉鳥」と書くが、見方によっては眼鏡をかけているようにも見える。それも枠の太い眼鏡である。だから、見かけはとても特徴的で、見かければすぐにそれと分かるだろう。
外来生物法で特定外来生物に指定され、日本の侵略的外来種ワースト100選定種にもなっているのだ。
わざわざ海を渡って連れてきて、もて余すと野に放ったのは身勝手な日本人であるから、ガビチョウに罪はないが、因果なことである。
昨日は買ってきたミニトマト6本のうち植え残っていた4本を定植すべく、プランターから前の住人を引っ越させ、新たに土づくりをして肥料などもたっぷり含ませる作業をした。
この間、頭上からは例のガビチョウの鳴き声が降りかかってくるわけで、きれいだけれどもうるさいという、矛盾した状況下での作業となったのである。
もちろん植物は人間のような耳を持っていないのだが、それでもなお、ガビチョウの鳴き声を聞いて育つより、ウグイスの鳴き声を聞いて育つ方がおいしい実をつけるのではないかと思うのだ。
特に定植するに当たっては、そこが終の棲家になるわけだから、心静かに新居に移ってもらいたいのである。
ガビチョウの鳴き声を聞かされたので、変なことを考えながらの作業になってしまった。
さて、どんな実をつけてくれるのだろうか。
🎵バァ~ラが咲きそう バァ~ラが咲きそう 薄茶のバァ~ラァ~ァが~ 自慢の空蝉は今日か明日には開きそうだ
ミニトマトの苗にガビチョウの鳴き声だけ聞かせているわけではないので、心配はないと思うが…
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