平方録

魯山人も辻留も…隠したその味は

不漁が続いていた相模湾のシラス漁がここにきてやや小康を取り戻しているらしい。

おかげで昨夜のわが家の夕食にも小粒ながらピッチピチで舌に刺さってしまいそうな生シラスが久しぶりに登場した。
ボクの食べ方は小皿に酢を注ぎ、そこに煎り酒をほんの少々垂らしてうまみを加えたものに、シラスをちょっとつけるのである。
こうするとシラスそのものの、甘さと時にはほろ苦さも加わった微妙で繊細な味を引き立てつつ楽しむことが出来るのだ。
苦さというのは鮮度と関係しているらしく、獲れたてを浜で踊り食い状態で食べる時にはあまり感じないが、わが家の食卓や町の食堂などで口にする場合に限って感じるのが常だから、鮮度のバロメーターでもあるのだ。

言ってみれば海辺の町でこそ味わえる一品で、これを味わうには海辺の町まで足を運ばなければならないということになる。
それが理由なのか、食通と言われる人たちや料理研究家とか呼ばれている人たちの著作には全くと言ってよいほど触れられていないのも不思議と言えば不思議な話である。
例えば北大路魯山人。
この人が食通であるかどうかについて異論を口にする向きもあるらしいが、まぁ世間の通り相場に従えば食通と言うことになるのだろう。

全国各地に足を運んでその土地土地の逸品を紹介してきているが、ボクが唯一持っている「魯山人味道」という著作では一行も触れられていない。
「美味い豆腐の話」とか「いなせな縞の初鰹」などと庶民的な味にも言及しているし、初鰹に関しては芭蕉の「鎌倉を生きて出でけん初鰹」、山口素堂の「目には青葉山ほととぎす初鰹」を引いて、「私の経験では初がつおは鎌倉小坪(漁師町)の浜に、小舟からわずかばかり揚がるそれを第一とする」「大東京などと、いかに威張ってみても及ぶ所ではない」とまで書いている。

そう、翁はボクの家から30分ほど離れているが同じ海辺の町の住人だったのである。
言及がないと言うことは歯牙にもかけられない食材だったと言うことなのか。そうだとしたら知れた舌の持ち主だったとしか言いようがない。
まさか知らなかったってわけじゃねぇでしょうね。不思議なことである。
同じデンで行くと、懐石料理の辻留主人だった辻嘉一の「滋味風味」には白魚とシロウオには項目を立てて6ページも割いてあれこれ書き連ねているのに、これまたシラスは一字一句たりとも登場しないんである。
あれほどまでに繊細で微妙ではかなくもある味に一言も言及がないなんて…

おお、なんという悲しき食通の方々であることよ、あの味をご存じないなんて…
画竜点睛を欠くということはまさにこのことで、両センセイには衷心からご同情申し上げる次第だ。
とはいえ両センセイ、ご安心ください。かの人気作家高橋治も池波正太郎もボクの知る限りシラスはノーマークなんですよ。

池波センセイは横浜辺りまではちょくちょく散歩に出かけてきて、あちこちに足跡を残しているけれど、もう少し南まで足を運べばチャンスがあったかもしれない。
高橋センセイは松竹大船撮影所の監督時代に岸恵子に思いを寄せたもののフラれてしまい、それ以来魚狂いになったというのは真っ赤なウソだが、様々な土地に出かけて美味しい魚の食べ方などを書き連ねているし、第一茅ケ崎の住人だったのだから知らないとは言わせない。
それでもなお記述の及ばざる、ということは…

畢竟、大センセイたちはシラスの、わけても生シラスの余りの美味しさにオノノキそしてタジロギ、これは自分ひとりで味わいたい、人に知らしてなるものか、一人占めじゃぁ~という悪魔のささやきに負けた連中なのだ。
偉そうなことを書いている割には実に人間臭い人たちであったのだ。




舌に刺さるくらいにピッチピチ


目、目、目、目、目…


冬の焚火の煙は絵になるのだ


花の寺で知られる近所の日蓮宗の寺でもさすがに花は減ってこの珍しい八重の白いサザンカ? それともツバキ? が目につくだけ
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