平方録

あの懐かしさの残る里が危うい

久しぶりに子安の里を尋ねてみた。

ここは三浦半島の付け根のやや南側に位置し、高いところに上がると西の方角に相模湾を望める以外は山に囲まれた傾斜地である。
そういう地形だから温暖な気候で知られ、ここでは12月に入るとスイセンが満開になる。
総戸数は20数戸の小さな集落だが、長屋門を構えた大きな農家が2、3軒もあってなかなかの景観を見せているのもこの地域の特色である。
集落に点在する家々をつなぐ道が複雑に伸びていて、照葉樹の巨木の間を抜け、竹藪の脇を通り、カキやユズ、キンカンの実をたわわにつけた木々を眺めながら里道をたどるだけでどこか懐かしさを覚えるような場所である。

美智子皇后が葉山の御用邸に静養に来られるたびに、お忍びでこの里を散策されることを楽しみにしておられた、という話を警護の人間から聞いたことがある。
苦労に苦労を重ねられたであろう皇后がわずかなお供を従えてここを散策されるときの心のありようというものが分かるような気がする場所でもあるのだ。

ボクがここを訪れるのは10年ぶりくらいかと思う。
その時は大きな台風に見舞われた直後で、あちこちでがけ崩れや倒された木々が道をふさいでいる場面に出くわして心が曇った。
見る影もないというような惨状だったのだ。
しかし、その爪痕はいまだに残されていて、被害の一番ひどかったところはいまだに復旧されていないのにはびっくりした。

しかも、被害はさらに拡大し、その被害場所に通じる一部の急な坂道ではではなぜかアスファルト道路が随所で陥没し階段状になっている。
? と首をかしげたくなるような光景である。
10年経っても復旧はおろか、新たな被害が生じているのに放置されているなんてことがあり得るんだろうか。
このエリアは行政区でいえば横須賀市である。
莫大な基地交付金も下りているだろうし、大手メーカーの工場も少なくない。財政的にひっ迫した街ではないはずである。

原因となりうる心当たりがないではない。
この子安の里の真後ろの山一帯の開発が影響しているのではないか?
「21世紀の緑陰滞在型の国際交流拠点」整備と銘打って神奈川県が主導した土地開発である。
結果、湘南国際村としてオープンはしたものの前の世紀に始まった開発で、バブルがはじけた後は中途半端に終わっているはずである。

この開発計画を巡ってはここ一帯が地滑り地帯だと言うことから地元では根強い反対運動があったにもかかわらず、当時の長洲一二知事は開発計画を強行した。
先鋭的な取り組みを幾つかの残した知事だったが、首をかしげたくなるような施策も少なくない。5期20年もやれば人間誰でも堕落する典型である。

開発によって保水力を失ったツケが歪みとなって真下に位置するのどかな里に現れたのだ。襲っているのだ。
なまじの弥縫策的な復旧工事では何の役にも立たないことを担当者は悟ったはずである。

里に残っていた炭焼き小屋は無くなっていた。
所々で住宅が消えた跡地が草生している。
緑に覆われていたはずのノリ面が無粋なコンクリートで覆われてしまったところも見た。

美智子皇后がこの里をのんびり散策されることはもう2度とないのではないか。



暖かな日差しを浴びた畑では大根がのびのび育ち、菊の花が出荷を待っている




竹藪に沿って里道を行くと


竹かごを背負ったおばあさんがつえを突きながら畑を上ってきた


気の早いスイセンの花がもう咲き出し


つぼみも膨らんでいる


里道沿いにはユズがたわわに実り


無人のスタンドではそのユズが1個30円で売られている


キンカンのまだ青い一粒を失敬してかじってみると、もう既に皮は十分に甘くておいしくなっている


カキは誰も手を付けず


カラスウリは珍しくもないので誰も取らないまま枯野で輝いている


車は通れないが人は何とか通れる先を進んでゆくと


根元の土をさらわれて斜面を転げ落ちた木々はそのまま放置され


急坂にはなぜか20センチ以上の段差が階段状に続き、それがそのまま放置されている
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