「あ~あ ! 」と言うか「やっぱり ! 」と言うべきか…
3日の憲法記念日を前にして共同通信社が実施した世論調査結果の一部が分かった。
一部だから細目は分からないけど、「大規模災害時に内閣の権限を強め、個人の権利を制限できる緊急事態条項を憲法を改正し新設する案に賛成51%、反対47%」という結果が出たらしい。
そして、こちらは対象は絞らずに一般論でいうところの「改憲の必要性」に関しては「どちらかと言えば」も含めると61%が肯定したものの、安倍政権での改憲は反対58%、賛成40%だったそうだ。
なんてこった…
3日付けの全国各地の地方紙に掲載されるだろうから、詳細はそれを見るとして、ボクの心中は穏やかならざるものがある。
さざ波が立ち始めた。
というか、さざ波は既に立っていて、嫌な予感、得体の知れない不安が大きくなってきたように感じる。
それが冒頭の「あ~あ ! 」であり「やっぱり ! 」という嘆息になる。
この今のコロナ騒動が1月中旬すぎから始まって以降、ボクが最も警戒してきたところがまさにこの問題、すなわち国民の不安と混乱に乗じて「緊急事態条項」を盛り込む憲法改正に突き進もうと手ぐすね引いているアベなんちゃら政権の影の姿なのだ。
このことはすでに何度も書いてきているし、わけても2月15日には「感染症より恐ろしいことが…」と題して取り上げたのが最初。
緊急事態条項を憲法に加えるのに賛成だって答えた人に聞いてもらいたい。
現在、われわれがどういう状態に置かれているか。今現在を振り返ってくれるだけでいい。
あくまでも「自粛」ではあるが、如何に様々に個人としての行動が制約を受けていることかが分かるでしょう。
ボクなんかは夕方になると繁華街の赤提灯の明かりと縄のれんの揺らぎが脳裏にちらつき、路地裏に漂う焼き鳥を焼く煙と脂の焼ける匂いが無性に恋しくなっている。
でも、そんな簡単なことさえ今は出来ない。
パチンコには興味がないけど、かかりつけの医者の所に行くのだって、一種の決意を持って備えを調えてからでなくては出かけられない窮屈さだ。
ほんのちょっとの例に過ぎないが、かくも鬱陶しいことになっている。
緊急事態条項を憲法に加えてもいい――と回答した51%の皆さん !
ホンキなの ?
現状の任意での自粛でさえこんなに窮屈なんだよ。
憲法に新しく盛り込むってことは、私権の制限、つまり、ボクたちの様々な権利が完全にそれも無期限に近く制限され続けて、ボクらから完全に自由を奪いかねないってことなんだよ。
ホントだよ。
憲法改正を企んでいる人たちはアベなんちゃらを筆頭に「そんなことは絶対にありません、仮に私権を制限をしたってほんの一部分を波が去るまでのごく短い間辛抱してもらうだけですよ」って言い訳するだろう。
でも一度大きな権利を手にした人間ってのは絶対に最後まで突き進むのさ。「ちょこっとだけ限定的に」なんて嘘っぱちに決まっているからくれぐれもダマサレないようにね。
歴史で勉強しなかった? 日本は第2次大戦下でそうやって国民から自由を奪い、話すことも見ることまでゼ~ンブ規制を受けて散々な目に遭ったのさ。
多くの人がその時代を知らない世代になってしまったけれど、これはおじいちゃんおばあちゃんから聞くとか、漫画でいいからそのことを書いてあるものを読んでみるとか、それで自分を守らないと、ホントに自由を奪われちゃうよ。
繰り返すけど、今の自主的な緊急事態は散歩もOKだし、ジョギングだってやってかまわない。
ところが、憲法に書き込もうとしているのは政府が勝手に国会の承認も無しに勝手に決められることになるんだから、時の権力があれもこれもと制限を加えるのは火を見るより明らかだよ。
個人の権利なんて何も認められなくなっちまうよ。その時はじめて気がついて泣いたって後の祭りさ。
何てったって「強制」より「自主」だよ。
「自分で決められる社会のまま」でいたいでしょっ !
緊急事態条項を憲法に盛り込むのは「×」。
絶対ダメ !