鎌倉の西のはずれの腰越という場所。
平家を滅ぼした源氏の総大将、源義経が兄・頼朝に報告のために戻ったが、鎌倉には入れてもらえず、この腰越で足止めを食らってしまう。そこで義経は会いたいという気持ちを連綿とつづった「腰越状」をしたためるのだが、それを書いた万福寺のある場所が腰越である。
ここに鎌倉唯一の漁港がある。
鎌倉湾の東の端の材木座と湾の西側に当たる坂ノ下にも漁師がまとまって暮らしているが、漁港は整備されていないので砂浜の一番奥に掘っ立て小屋の網置き小屋などを建て、浜に引っ張り上げておいた舟をいちいち浜に引きずり出して漁をしている。
もちろん、漁が終われば今度は浜に船を引っ張り上げるのだ。
鎌倉湾の西端に突き出した稲村ケ崎から西は鎌倉七口と言われたいわば鎌倉の城門とも言うべき切通の外に位置しているので「鎌倉の外」だったが、内側にしても漁師は不便を強いられながら今に至っている。
もっとも、海の風景を楽しむ側にとっては砂浜に引き揚げられた小型の漁船や、干してある漁網、その他の漁具が雑然と積み重なっている光景は‶そこになくてはならないもの〟と言える。
こういう物が目に入らないとすれば、如何に殺風景な浜辺になってしまうことか。
漁港が出来れば船は大型化するし、釣り客を乗せる遊漁船という商売も成り立つようになるから船も増え、漁港は賑わいを増し、活気をもたらしてもくれる。
さして離れてもいない狭いエリアにこうした2種類の漁業形態が存在するわけで、海辺の風景が好きでよくフラフラする人間にとってはどちらも好ましい存在に映るのである♪
腰越漁港は小動岬(奥に見える緑の小山)の西側、海水浴場として名高い片瀬東浜の隣に位置している
こちらの漁船は既に漁を終えた後のようだ
3月に入るとこの漁港内にアユの稚魚がたくさん群れるようなる
40年ほど前の若かりし頃、休みの朝など早起きしてサビキを垂らすと入れ食いで一度に6~7尾も釣れたものだ
体長7~8cm 空中に魚体が浮かぶと朝日に照らされて身体がきれいな緑色に光り輝いたもので、それは美しい光景だった♪
アユの背が生まれながらにして緑色をしているということを、その時知った
釣った稚魚はから揚げにして酒の肴にし、頭からムシャムシャ食べた♪
今、かつてのように釣れているかどうか知らない しかし、アユの生態が変わってしまったということは聞かないので、いることはいるのだろう
こういう光景を見ると絵心でもあればスケッチに来てるだろうなぁと思う
この光景もしかり…
こういう雑然感がまたイイ
写真には写っていないがこの漁船軍の奥には富士山が隠れているし、南側は江ノ島が目の前に迫る