友人が送ってくれた渋柿である。
皮をむいて太陽と外気にさらし干し柿を作るのだ。
腰を下ろす椅子を用意し、むいた皮が散らばらないようにビニール袋を両足の間に広げる。
皮むき器という恐ろしく簡便だが優れモノがあって、なだらかな曲面を形作るカキの表面に沿ってそれを滑らせるだけできれいにむけてゆく。
皮がむかれると表面の朱色を少し薄くした明るい朱色の、しっとりと水気を含んだみずみずしい柔らかな肌が現れる。
手のひらを大きく広げてその掌で柔らかく、しかししっかりと受け止めて皮をむかないと、柔肌はつるつる滑って逃げていってしまう。
小春日和のベランダでじっと座ったまま皮をむいていると汗がにじんでくる。
そのことに数分して気が付き、上着を脱ぎ捨て腕をまくり、長ズボンは短パンに履き替えてカキに負けじと肌を陽にさらす。
晩秋の静かな住宅地ののどかなひと時であるはずなのだが、ご近所の家で外壁の塗り替え作業が始まったようだ。
始まったばかりなのでおそらく外壁表面を洗うために高圧洗浄しているのだろう。
コンプレッサーの音がやけに大きな連続音となって押し寄せてくる。
小春日和の陽だまりにはふさわしくない騒音なのだが、人生とは往々にしてこういう邪魔が入るものなのだ。
皮をむいて現れるカキのみすみすしい柔肌に集中するように、せっせと皮むき器を滑らせる。
カキを送ってくれた友人はヘタのすぐ上の小枝をTの字型に残しておいてくれているので、吊るす際のひもが掛けやすい。
Tの字の下でひもをクルクルッと2巻もすれば、それでしっかり結ばれる。
形のそろった中くらいの粒のカキなので8個もぶら下げるとズシリと重い。
このずっしり感が出来上がりの自然の作り出す甘味のおいしさを想像させるに十分な手応えなのだ。
初めて送ってもらった去年は数個を除いて表面がかびて真っ黒に変色してしまい、泣く泣く捨てたのだ。
カビを免れて口に入れることのできた数個の甘さが際立っていただけに、残念でならなかった。
もしかすると湘南の海風と湿気は干し柿作りには向いていないのかもしれない、そう思ったものだ。
そういえば、軒下に干し柿がぶら下がっている光景を、この地で見ることはほとんどない。
今年も失敗するようなら「湘南の陽光と海風は干し柿づくりに不適」の烙印を押さねばなるまい。
ボクはカキの皮を一つ一つ向いていくような単純な作業が嫌いではない。
左手に置いた皮のむかれる前のカキの山が、時間を経るにしたがって皮をむかれて右手に移って再び山を高くしていく。
子供のころはこういう地道な根気のいる作業は大っ嫌いだった。苦手だった。
それが社会に出て、海に浮かんでいる氷山の真下には見えている7倍もの大きな塊が潜んでいるのだと言うことを実感させられる。
一発大逆転というものも確かにあることはある。
でもそんなのは、極めてまれにしか起こらないものなのだ。
皮をむきながらそんな遠い日々のことをぼんやりと思い返しているのである。
騒音も聞こえぬふりの柿すだれ
柔肌のあつき血潮に触れもみで… おぉ柿姫!
これは干し柿用だが友人は渋を抜いたカキもドッサリ送ってくれた
渋を抜いたカキのトロトロになったもののヘタの部分をくりぬいたところにウイスキーを数滴たらしてスプーンですくって食べる。「末期のひと口」候補なのだ。イタリア人も東洋伝来のこの果物をこうして食べているらしい
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