普段は4時少し前に自然と目が覚めるのだが、気付いたら5時だった。
思うに、夕食にワインを飲んだ後、寝る前にウイスキーをストレートで2杯飲んだのが、ぐっすり寝入ってしまった理由かもしれない。
春眠暁を覚えず、にはちょっとばかり早すぎるものね。
昨日は今年初めての円覚寺の日曜説教座禅会。
春の兆しは無いかと境内を歩いてみたら居士林の裏手の小高い位置にある「龍隠庵」の庭の梅がほころびかけているのを見つけた。
あと2、3日暖かい日が続けば開花しそうである。
もっとも境内至る所にある梅の蕾は押し並べてまだ固いから、日当たりの良い場所での賜物だろう。
ここは境内が見渡せるうえ、日当たりが良く、気持ちの良い場所である。しかも、観光客はほとんど登ってこない穴場なのだ。
夜、テレビの天気予報を見ていたら、東京のどこかは知らないが、平年より16日も早く梅が開花したと言っていた。
暖冬とはいえ、2週間以上も早いとは驚きである。
この分だと、良いか悪いかは別にして、3月上旬にはサクラの便りまで届いてしまうかもしれない。
人間は屈託なく、さまざまなゲップを吐き出しながら恐竜と同じ道を歩んでいるようである。
さて日曜説教は那須にある臨済宗妙心寺派の古刹雲巌寺の住職が死に直面して残した遺書の話だった。
97歳で没した植木憲道老師が残したもので、死に直面して書いたものだから、とても弱々しく、非常に判読しずらい文字が連なっていたそうだが、じっと眺めているうちに何とか読むことができ、書かれていることが分かった時には感動のあとに震えが来た、とまで横田南嶺管長は語るのである。
「もっと親切でありたい」
「もっと正直でありたい」
「もっと真面目でありたい」
「もっと寛容でありたい」
と4つ書き記されていたそうである。
人格に優れ、檀家にとどまらず周囲から尊敬され、あがめられていた老師が、しかも若者が残したというなら別だが、97歳もの長寿を重ねた人が、かくもわが身を見つめ直していることに感動し、驚いたんだそうである。
年の初めに当たって、私たちもこの雲巌寺の老師から学ばねばなりません、というのが話の趣旨であった。
横田老師の口癖である「腰骨を立てよう」を説きながら、日常生活で腰骨を立てて暮らす、つまり、背筋をピンと正した姿勢を保つことが、すべてにおいてうまく回転して行く第一歩なんだという教えである。
確かに言われる通りで、背筋を伸ばしていると物事に対する取り組み姿勢が違ってくる。背中を丸めていたのでは良い考えも浮かばず、一方で取るに足らないつまらないことに拘泥を始めるようになる。
そこで結論は「腰骨を立てて自分を見つめ直し、雲巌寺の老師の残された4つの心構えを持ちたいと願うところから始めよう」ということであった。
確かに振り返ってみれば4つのことはできるようで奥が深い。
当方などは特に、わけても、4つ目の「寛容」ということについては「か」の字も持ち合わせていないと言ってよくらいである。
ここはちょっと真剣に受け止めたいと思っている。
つくづく、ひとから道を教えてもらわなければ前に進んでいけない身であることかを痛感する。
余談だが、雲巌寺の開祖は後嵯峨天皇の3男の仏国国師で、時の執権・北条時宗によって建立された由緒正しい寺で、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並ぶ禅宗の日本四大道場のひとつなんだそうである。
松尾芭蕉も奥の細道紀行にさいして、わざわざ遠回りして立ち寄っているほどなのだ。
寺があるところは栃木県大田原市の東のはずれで、バスも通わぬ辺鄙なところらしく、もちろん禅の修行道場だから観光地でもなく、あまり紹介されてこなかったところであるらしい。
横田管長は去年、20数年ぶりに再訪したんだそうだが、佇まいも何もかも、まったく変わっていなかったと述懐していた。
そして20数年前に見かけた「俺が危ない!」という道路標識がいまだに残っていた、と感動していた。
意味はいろいろだろう。これも植木老師の言葉だそうで、道路標識にまでなっているんだそうである。
ぜひ一度訪ねて見たい、と思っている。
今にも開花しそうな円覚寺龍隠庵の梅
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