早い話が油照りという言葉が象徴しているような、薄曇りで風がなく、じっとしていても汗がにじみ出てくるような不快な日が目立ち、カッと照り付ける太陽の光は強くても夏特有の透き通るような青空が広がっていて、木陰に入れば一息つけるというようなメリハリの効いた日が少ない。
とどのつまり、太平洋高気圧が日本列島の夏を支配しきれていない印象なのである。
こういう日が続くと、気持ちの良くない暑さの印象ばかりが残り、不快な気分に拍車がかかる。
不快感というものは一度抱いてしまうと自己増殖する質のものだから、放っておけば体に変調を来すところまで行くはずである。
厄介なものなのだ。
本来、夏の暑さというものは不快なものばかりではないはずで、夏そのものが持つエネルギーが体の芯までしみ通って向こう1年分のエネルギーとして体内に蓄積されるような気分にさせられる暑さというものがあるのだ。
ボクは夏大好き人間だから、大いにひいき目もあるのだろうが、夏というものは本来好ましい季節なのである。
楽天的な人間としてはTシャツ1枚、短パンひとつで過ごせる夏ほど気分の良い季節はないと思っているし、日はとても長くて、しかも朝昼夕とそれぞれに違う光の具合や空の青さ、緑の濃さ…
その1日はとても美しいと思う。強さを兼ね備えているところもいい。
不快さというものは暑さと紙一重で存在するのだろうが、そこにばかりこだわり過ぎるとマイナスのスパイラルに落ち込んでいくことになる。
夏は暑いものなのだから、そう思って迎え撃つだけの話である。
そもそも夏というものは生命力にあふれた季節なんだし、ボクが夏に魅かれる理由もそこにあるのだ。
向日葵(ひまわり)は金の油を身にあびて ゆらりと高し日のちひささよ 前田夕暮
花の命に対する賛歌は見事なものだと思う。
大魚(おおな)釣る相模の海の夕なぎに 乱れて出(い)づる海士小舟(あまおぶね)かも 賀茂真淵
マグロやカツオを追う漁師の小舟が夕凪の海に入り乱れている躍動感と、それを見て心躍らされる情景が目に浮かぶ。
一方で今年の夏は南で北で、集中豪雨がすさまじい。
気圧配置がほとんど変化しないまま雨が降り続けるのだから、当然同じ地域に雨が集中する。
そうなれば自然の排水能力にも限度があるだろうから、川はあふれ、山は崩れる。
今年の夏は例年にないことだが、チベット高気圧というのが西から日本列島にまで張り出してきていて、太平洋高気圧の上に覆いかぶさっているんだそうである。
そういうこともあってジェット気流の流れも変化し、太平洋高気圧の勢力も十分に力を発揮しきれていないらしい。
昨日も今日も曇り空である。
しかも今日は久しぶりのゴルフだ。
カッと照り付ける太陽の下でプレーすることをイメージしてきたが、アテが外れたようである。
野遊びは降り注ぐ太陽の光の下でやるものだというボクの主義に反することだが、そうなりそうなのが至極残念である。
緋色の花が美しいヒメザクロ。初めて見た=円覚寺
瓶で栽培されているハス=同
崖下のオニユリ。上方の崖の中ほどに咲き終わったヤマユリが見える=同、
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