新幹線が走る前の東海道本線で上京する場合、尼崎には特急の「はと」や「つばめ」は止まらなかったろうから、いったん始発駅の神戸に戻ってから乗り込んだに違いない。
最後尾に展望車両を連結して走った彼の特急列車が東京駅に止まっているのを2、3度目撃したことがある。
当時、東京駅の横須賀線ホームは13番線で、特急列車が発着するのが隣の14、15番線だったと思うのだ。だからすぐわきに停車しているのが見えるのである。
当時の電気機関車は最新型のEF58型だった。鉄道少年だったので、この電気機関車の型番と姿はよく覚えている。12、3両の客車を引っ張っていたように記憶している。
驚いたのは「はと」を見た時である。客車だけでなく、それを引っ張る電気機関車も客車と同じ若草色に塗られていたんである。
国電と呼ばれた山手線や京浜東北線の電車が地味なブドウ色一色に塗られて走っていたころの話である。
ただ横須賀線は紺色とクリーム色、湘南電車が濃いグリーンとオレンジ色の2色に塗り分けられて、すでに颯爽と走っていたから、いずれも国鉄のカラー化の先駆けだったと言ってよいのではないか。
ただ鉄道マニアや鉄道関係者の間からはニヨロニョロと線路をくねって走る姿から〝青大将〟と呼ばれていたようである。
そして何より、神社の屋根のような庇を張り出した展望車のにぎにぎしさは人を簡単に寄せ付けないような威厳に満ちた雰囲気を醸していて、チラッと覗き見る車内に白い布のカバーで覆われた大きなソファーが並んでいるのが目に止まり、当時小学生だったボクはどういう人が乗るんだろと思ったものだが、これまた記憶に残っているのは白いソファーばかりで、乗っている人を見た記憶がないのはどういう訳だろう。
今思うと不思議でならないが、発車時刻よりずいぶん早くホームに入っていて、乗客を待っていたのかもしれない。何せ大昔の話である。
冒頭に挙げた地名はヒアリが発見された港のある場所である。
それがかつての特急列車の話にすり替わったのは、ボクの気まぐれなのだ。地名を書き連ねていて、ふと連想してしまったのだ。
さてさて、ヒアリというのは南米原産のアリで、大人しいものとばかり思っていたアリが攻撃的な性格の持ち主で、人なんてへっちゃらで向かってきてかみつくんだそうである。
噛まれると焼け火箸を肌に押し付けられたようなヤケドを連想させる痛みが襲ってくることから名づけられたんだそうである。
世界の侵略的外来種100選定種で痛みだけでなく、アナフィラキシーショック起こして死亡する場合もあるそうで、ゆえに殺人アリという異名を持つほどだという。
こんなものに堂々と生息された日にはおちおちゴム草履も履けないだろうし、公園の芝生の上にゴロンと寝転んで空でも見上げているうちにがぶりとやられたら、運が悪ければそのまま昇天ということになってしまうかも知れないのだ。
幼児なんかどうするんだ。アリに手を出して捕まえようとする子供は全国いたるところにいるぞ。
幼児には格好の遊び相手のアリンコなのである。
かくなる上は日本の防疫体制というものがどれほどのものか、きっちり見せてもらおうじゃないの。
しっかり頼むぜ!
蟻の道雲の峰よりつづきけん 小林一茶
預言者一茶!
まさか、いくらなんでもそれはあるはずがないが、海を越え、雲の峰を伝ってゾロゾロやってこられるのだけは御免である。
ほったらかしのノウゼンカズラが今年は良く咲いている
近所の自然公園の一角にハンゲショウの群落があったことを再認識した。奥の奥まで続いているのだ。
今朝4時55分の東の空。良く晴れていて梅雨明けまであと一息の感じである。
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