平方録

故人の役割も捨てたもんじゃぁないのだ

昨日は妻の父親の「偲ぶ会」のため東京駅前に集まった。

義父が亡くなったのは1998年1月11日のことである。79歳だった。
亡くなった晩は雨が降りだし、日付が変わるころには雪に変わったように記憶している。
無宗教だったので、葬儀会場でお経の代わりに大好きだったクラシック音楽でも流そうということになり、ボクが選曲から録音までを任され、義父の膨大なコレクションの中からベートーベンの交響曲第6番「田園」を選び、その第2楽章をカセットテープに録音した。

寒い夜で、ステレオ装置の置いてあった部屋で暖房もつけづに作業したものだから寒気がして風邪をひいてしまったが、志賀高原でホテル経営をしていた義妹が作ってくれた玉子酒を飲んで寝たら一晩で回復したのを覚えている。
その時寝ようとした部屋にネコがいて、見慣れぬ闖入者に驚いて寝ようとしているボクの枕元や布団の上に飛び乗ったりして追い出そうとするので閉口した覚えがある。

某私立大学の建築学科の教授をしていて、講義に出かけないときは家でウイスキーの水割りを舐めながら日がな1日レコードを聞いたりFM放送をカセットテープに録音したりしていた。
もっぱらオペラをはじめとするクラシック音楽を聴いていた。
それに飽きると夕方から新橋と虎ノ門の中間にあった姉妹が経営する飲み屋に出かけて行って、その姉妹や常連客との会話をつまみに酒を楽しんでいた。
義父も含めて集まる人々はいずれも悠揚としていて、ボクもそこに何度か引きづり込まれたことがあるが、年を重ねたインテリたちの飲み方はとはこういうものかと、随分と勉強になったものである。
老朽化で取り壊されてしまったが、東京オリンピックのヨット会場になった江の島の管理棟の空調設備の設計を手掛けている。

小澤征爾と縁の深い成城コーラスに所属して、実際にいそいそと練習にも出かけていたようである。
毎年クリスマスの頃になると定期演奏会を開いていて、まだ小学生だった娘たちを連れて聞きに行った。
関口台にある東京カテドラル大聖堂で行われた演奏会では、どこのオーケストラだったか忘れたが、ベートーベンの第9交響曲で共演したのを聞きに行ったのも忘れ難い。
プロ並みの合唱団の1員だったという訳なのである。

今年の大型連休の初日に打ちそろって多磨霊園に墓参りに行った時に、葬儀以来特別なことは何一つしていないのだから没後20年を機会に偲ぶ会でもやろうや、ということになって、それなら善は急げとばかりに集まったのだ。
3人の姉弟と連れ合い、その子供、孫たちが集まっただけ、それも全員という訳ではなかったが、生前「法事はないか、法事はないか」と法事で親戚中が集まるのを楽しみにしていた義父にとっては、自らが縁者を集める役に回り、それはそれで喜んでいると思うのである。
そもそも法事というものは、亡くなった人が生きている親類縁者同士の結びつきを再認識させるために集合をかける大切な行事なのである。
亡くなった人の大切な役目なのである。

東京駅の丸の内側のビルの一角の駅を見下ろす個室を予約していたので、孫たちの大騒ぎにも気兼ねすることなく過ごせ、帰るにもそのまま改札口を抜ければよく、こうした交流と歓談ができたことは、やはり義父のおかげなのだった。









部屋から列車の発着の様子が見下ろせるこの場所は孫たちには格好の場所なのだが、一番の鉄道好き少年はこの日参加できなかったのが残念である
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