平方録

信頼こそがすべてのイシズエですナ

しかし強い風が吹き荒れたものだ。

サクラのころは決まって花を散らす風が吹いてボクたちの心をざわつかせるものだが、それにしたってひどかった。
目に見える範囲の終わりかけのヤマザクラの花はあらかた吹き飛ばされたし、近所の公園の池はさざ波立って時々しぶきが飛んできて顔に当たるほどである。
「カメさんに餌をあげたい」という3歳になって間もない孫息子を連れて行ったのだが、ちぎって投げるパンの小片が風に吹き飛ばされるほどだからすっかり白けてしまった。

 春風の花を散らすとみる夢はさめても胸のさわぐなりけり

これは西行法師の名高い歌で「さめても胸のさわぐなりけり」は誠に同感で、一方で西行は散りゆくサクラの花の見事さに息を吞んでもいるのだが、そうした風雅な心さえ吹き飛ばしてしまうような強風だったのである。
それにしたって花の盛りにこんな強風に見舞われなくてヤレヤレだった。危うくすべてをぶち壊しにされるところだった。
今年はヤマザクラを中心に随分と堪能させてもらった後だから、その思いはひとしおである。

閑話休題。
森友問題をめぐる財務省の文書管理のずさんさがまだまだくすぶっている最中だというのに、またぞろ今度は防衛省に舞台を移してイラク派遣部隊の「ない」と言っていた日報が1年経って陸上自衛隊内から見つかるという不可思議なことが明るみに出た。
そして日を置かずして航空自衛隊からも派遣部隊の残した日報が見つかったというのだから、アベなんちゃら内閣も随分とナメられたものである。

防衛大臣は「報告がないということは何事か。けしからん」と力みかえり、自衛隊全隊に確認作業の徹底を指示したりして慌てふためいているが、醜態以外の何物でもない。
そもそも文民統制というものは双方の信頼関係があって初めて成り立ち得るものであって、特に命を張って国民と国土を守ろうとしている実力部隊が安心して命を投げ出せる状況というものを考えてみれば一目瞭然であって、信頼も出来ないような人物から命令を受けたとしてどこまで本気でやれるかという根本的な問題に行き着くのである。

集団的自衛権の行使を禁じた憲法を無視して閣議決定だけで行使容認に踏み切り、挙句は自衛隊の活動領域を大幅に広げ、アメリカの戦争に常に付き従わなければいけなくなる「戦争法」を国民の大多数の反対を無視して成立させるなど、自衛隊員の命に直結する大事な変更を国民全体の合意もないままにごり押しするような内閣に、信頼など寄せられるはずがないというのは自然な見方だろう。
もちろんこれはペケである。隠ぺいは言語道断である。
ペケでダメに決まっているが、これを大いなる教訓としなければいけない。

実力部隊とその指揮命令権者との関係は深い信頼関係で結ばれていなくてはならないのだ。
もちろんその背後にあるのは国民の信頼と支持であって、それなくしては何事も立ち行かないであろうことは言うまでもない。
それはそうだろう。場合によっては命を投げ出すのだ。そういう人たちが不信感を持った人の命令で喜んで前進していけるか?
民主主義のルールをきちんと守り、憲法を順守して国民のために真剣に働いていることが目に見える内閣の下でこそ、文民統制は生きたものになるということなのだ。
そのことを今回の事態ははっきりと示しているのだ。

アベなんちゃらにもはや信頼と期待を寄せる国民はいないのではないか。その投影がここに現れたに過ぎないのだ。
潮時というものがある。今まさにその潮目がはっきりと変わったのである。アベなんちゃらにはさっさと辞めてもらうほかないようである。



昨日生シラスと一緒に出てくれば一層よかったのだが、1日ズレても初モノの味には大満足


妻が友人から頂戴した宮崎原産の「ヒュウガナツ(日向夏)」というユズが突然変異して生まれたカンキツにキュウリを薄く切ったものを和えたものが、さっぱりした味で美味しかった


サクラが散ると次はフジ。公園のフジ棚を見上げるともう準備万端の風情である


新緑が印象的なフジ棚の脇のヤマグワ。枝ぶりが気に入った


足元の細い水の流れがある日陰のシャガが咲き出している
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