ブログに載せる写真について…
出来るだけ自然をありのままに伝えたいなと思ってパトロールに出かけ、道端に花が咲いていれば自転車を降りて「どうしたらきれいに撮れるか」などを考え、目の前の大空に浮かぶ雲が普段見かけない雲だったりすればシャッターを押し、大きな景色が広がる光景を目の当たりにして「おぉ!」と小さな感嘆符が漏れるだけでそれをスマホのレンズを通して記録する。
もちろん自然の一部にはニンゲンも含まれるから、その生々しい営みに接すればそれらにもレンズを向ける。
ニンゲンを撮る場合、今時の事だからなるべく顔が分かりにくいように撮るが、それでも見えてしまう場合は使う段になって加工を施して使うなど、気を遣う。
そういうルールを自分なりに課しているつもりだが、悩ましいのが花などの植物を撮る場合、あるいは動物を撮る際の植物園や動物園の存在である。
動物はほとんど撮らないが、植物は足を運びさえすればたくさんの品種がいろいろ咲いているだろうな…とは思う。
ボクの身近、つまり自転車で20分くらいのところに大きな植物園があるのだが、のぞくことは稀である。
いわば標本を並べているような所に行って写真を撮ってきて、季節がどうの、〇〇の花が咲き始めてどうの♪…などなど、如何にも季節感を先取りしたようなことを書き連ねるのが、何となく後ろめたいのだ。
そんなこと言うならオマエの家の庭はどうなのだ? 自然そのものと言えるのか? 好みの植物を選んできて植えて楽しんでいるのだろう?
いくら古刹の自然にあふれたような庭だからと言って、あそこだってしょっちゅう人の手が加わった所詮は人工物じゃないか…
まっ、理屈は確かにその通りだが、目だの科だの属だの多岐に分かれる植物を系統だって植えている植物園は、やはり寺の庭や我が家の庭とは別次元の存在であると思う。
一輪の花は花以外の何物でもないさ。何も気にすることは無い…と言う考えもあるが、それでもやっぱりボクは躊躇する。
しかし、今朝のサギソウは隣町の長久保公園都市緑化植物園にたまたま立ち寄った際に、目立つように置かれていた鉢の中で咲いていたものである。
実際に咲いているのを初めて見て「へぇ~、これがサギソウか♪」とその姿の美しさに感心したので撮影してきた。
マクラが随分と長くなったがそんなわけです。
造物主の気まぐれにしては手が込み過ぎていやしないか
サギが2羽飛んでいる…
これがサギソウかぁ~♪
帰り道、今夏初めて湧き上がる入道雲を見た♪