臨済宗円覚寺派大本山の円覚寺が季節ごとに発行する小冊子「円覚」の正月号が届いた。
通巻340号だから85年、戦争前から発行が続いていることになる。
毎号、横田南嶺管長が一文を寄せていて、四季折々を楽しみに待っている。
小学校高学年の子どもぐらいから理解できるような平易な文章で書かれているから、難しいことが書かれていてもスゥ~ッと頭に入ってくる。
今朝は「慈悲の風を」と題するその抜粋。
大乗仏教では、生きとし生けるものは皆生まれながらに仏の心を持っていると説いています。そしてその仏の心というのは、慈悲の心にほかなりません。誰しもが生まれながらに、命あるものを慈しみ、思いやる心を持っていると説いているのです。
慈悲の心は、どのように養い鍛えるのでしょうか。この事を学ぶことのできるお釈迦様の逸話がございます。コーサラ国のパセナーディ王とマッリカー王妃の話です。
ある日のこと、パセナーディ王はこの王妃とともに、城の高楼にのぼって眼下に広がるコーサラの山野を見渡していました。
そのとき、王は、ふと王妃をかえりみて問いました。「この広い世の中に、あなたは自分自身よりも愛しいと思うものがあるだろうか」と。王妃はしばらく考えて答えました。「王さま、わたくしには、この世に自分よりも愛しいと思われるものはございません」と。
王もまた「わたしにも、そうとしか思えない」といって、二人の考えは一致しました。しかし、普段からお釈迦様の教えを聞いていたので、この考えは間違っていないか心配になり、二人でお釈迦様を訪ねました。
お釈迦さまは、この世に自分自身よりも愛しいと思うものは無いという、王と王妃の考えを聴いて次の偈(げ)を説かれました。
「人の思いはいずこへもゆくことができる。されど、いずこへ赴こうとも、人はおのれより愛しいものを見出すことはできぬ。それと同じく、他の人々にも自己はこの上も無く愛しい。されば、おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ」と言うのであります。
ここで学ぶべきことは、まず人は誰しも自分を愛しいと思っていることです。そのことをしっかり認めたうえで、それと同じように、誰しも自分自身はこの上なく愛しい存在なのです。そのことを思いやって人を傷つけないようにしようというのであります。
これがお釈迦様の「不害」の教えであり、「不殺生」という仏教の根本精神となっています。
慈悲の心を養うには、まず自己が愛しいと知ることです。この命はかけがえのない貴いものであることを知ることです。この生命がお互いに宿るには両親はもとより、そのご先祖、さらにさかのぼれば、長い三十八億年とも言われる生命の歴史があります。その営々とつながる生命をいただいているのです。さらに現在においても、日の光、大地、空気、水、毎日の食べ物、着る物、履く靴に至るまで数えきれない多くのものの関わり合いの中に生かされています。
今日命あることのなんと有り難いことかという感激を持つことです。そして、その貴い命をあの人も、この人も、鳥や獣に至るまでみんな持っているのです。だから決して傷つけてはならないと思うのです。
しかし現実には自分さえよければという思いや、目先の欲望や些細なことから起こる怒りや憎しみの心に遮られて、慈悲の心が顕わにならないのです。
まず自己の命を慈しみましょう。そして身近な人にもその思いを広げましょう。さらにもっと広げてゆきましょう。その慈悲を妨げる利己主義に気がついたならば離れるように努力しましょう。そのようにして慈悲の心を養い鍛えてゆくのであります。
慈悲の風があまねく吹き渡る世の中になるように願ってやみません。
昨日も「伽羅奢」と「名無し」のつるバラの誘引せん定をやり、昼過ぎに終わらせた。
比較的暖かくて作業ははかどったが、今日は一転どんよりとした曇り空で気温も上がりそうにないので、庭仕事には適さない。
コタツ布団のシミにでもなって、じっとしていようと思う。
腰も養生が必要だし…
庭の花も少なくなったが、これからはタネから育てたパンジーの出番