50代前半のころ、大きな組織の責任者をしている時だった。
毎日夕方に開かれる重要な会議を済ませて自席に戻り、ヤレヤレとホッとしている所を見計らったようにかかってくる電話があった。
「○○さん? △△です。お疲れ様♪ そら豆の良いのが入ったのよ。蕎麦がきも用意しておくわ。(日本酒の)□□も冷えているわよ。良かったらいらしてね♪」とだけ言って切れる。
行きつけのそば屋の女将で、時々電話をかけてきて誘惑する。
こちらの気持ちが緩む時間をちゃんと心得ていて、会議が終わってホッとしているのを見透かすようにかかって来ていた。
その挙句の「ソラマメと蕎麦がきと冷えた日本酒♪」の殺し文句にコロリと行かないわけにいかず、まるでパブロフの犬のように脳内からの指令で口中は唾液で満たされ、腰が浮きかける。
それどころか、その電話を受けている最中から、誰を誘うか大部屋のはるか先まで見通しながら、要領よくその日の仕事に目途をつけるか、終わらせて、机に脚を投げ出して何がしか資料などを読み始めている連中を物色したりする。
電話が切れると、そういう連中の内の1人とか2人に「おいっ、中抜けしようや」と誘うと、こちらも待ってましたとばかりに二つ返事でついてくる。
普段は2時間もすると職場に戻ってまた机に向かうこともあったが、戻る前に鼻を利かせた連中がやってきて輪に加わり、そのまま深夜まで飲み続けることもしばしばだった。
拘束時間の長いことで知られた業界も、今は働き方改革とやらで「仕事が終わって用のない奴はさっさと帰れ」という命令が出ているそうで、「中抜け」などと言う牧歌的ともいえるようなことは無理な相談らしいが、あの殺し文句の魅力は"殺された経験のある人間"にだけにしか分からないのが気の毒と言えば気の毒で、あんな素敵で魅力的な言葉も体験も消えてしまってしまうのは寂しい気がする。
何より、現役諸君が味気ない環境で仕事をするのを気の毒に思ったりもする。
その仕事ぶりから、社会からの尊敬や信頼と言ったものを一身に集めて来た業界が、悲しいかな尊敬どころか場合によっては白い目で見られかける現状に心を痛めているOBの1人として胸が痛くなるし、そういう尊敬の念や信頼感が薄れてきていることと、因果関係があるんじゃないかとさえ思う。
良い仕事と言うものは広い意味での余裕…心の余裕も含めて、大事なんじゃないかと。
あの「ソラマメと蕎麦がきと冷えた日本酒」…そういう文句に殺されたことのない不幸を思うのである。
ところでソラマメが食べたくなったが、旬は5,6月だからスーパーではほとんど見かけないのが残念である。
エダマメで我慢しろだと?
う~ん、そこが微妙に違うんだよなぁ…
ねぇ、池波(正太郎)さん?
いつまでもよく咲いてくれる「空蝉」 8月は休ませてあげないとね♪
04:28 今朝の東の空は澄み切っていた