平方録

半年経って思うこと

背広を着て毎日決まった時間に家を出ていた生活から解放されて半年が過ぎた。

「解放されて」というと、それまでの生活が嫌で嫌でたまらなかったように思われるかもしれないが、そうではない。それは正しくない。馬鹿馬鹿しく思えて仕方ないことが近年無いではなかったが、そんなのはほんの一部であって、取るに足らない。
40数年間、報道機関に身を置いて働いてきて、誇りを持っていたし、第一好きだった。別段、疲れ切っていたわけでもないし、尾羽打ち枯らしてヨレヨレになっていたわけでもない。かといって、自ら望んで、あるいは強い意思を持って「解放される」道を選択したわけでもない。
言ってみれば、そういうこともあり得るかなぁ、と漠然と思っていたことが、実際そうなっただけの話である。
なぜそう思ったのか、と問われれば、世間的に見ればそんな年頃に到達し始めたから、と答えるしかない。

意思を持って仕事から離れたわけじゃないのなら悔いが残るんじゃないか、と問われれば、そうでもない。悔いなどない。やり残したことがまだあるのか、と責め寄られれば、言下に否定できるものでもないが、貫徹したいと思ったら死ぬまでやるしかない。組織の中でそれをやろうとするのは間違っているだろう。
ならば何か不満があるのか、何を言いたいんだ、はっきりしろと問われても、「別に」と言うしかない。

煮え切らない奴だ、と呆れられても実際の気持ちがそんなところだから、致し方ない。
なかなか言葉では言い表せない部分があるのだが、肩肘を張っているわけでも、まなじりを決しているわけでもなく、ただ自然の流れに身を任せているだけでこういうことになった、としか言いようがない。
とりあえずは、それで良かったのだという気がする。
ひとつだけ、晩節を汚すとか、老残とか、老醜をさらすのだけは避けたい、と常日頃思ってはいた。
そんな感じなのである。

ならばお前さん、今どうしたいのか、これからどうするのか、と問われれば、はて ? と答に困る。

こういうことは、小説家なら心の奥襞に踏み込んで、出世欲やら嫉妬やら権謀術数やら世の中に渦巻く現実世界の生々しい実相や、まったく個人的な世界に分け入って、世間様にはとても言えないような問題も含めて、老いや死という現実を突き付けられてうろたえ、のたうつ心の葛藤などを交えながら、幾重にも糸を絡ませて描写し、答えを出していくのだろうが、生憎そうした筆力や指向、客観的な眼力を持ち合わせているわけでもない。

心の奥底を覗いてみたいという願望はあるにはあるが、本当の奥底がそう簡単に覗けるわけでもないような気がする。

ペンの世界に生きてきたくせに、ここまで、なかなかうまく表現できないのが情けない気もするが、今は出来かねる。
取材対象が違うのだ。テーマが今までとは違うのだからしょうがない。

とりあえず、やりたいことだけ、したいことだけしようとしている。
しかし、やりたいことのすべてをやっているわけでもなく、やっていることがうまくいって満足しているわけでもない。
やり残しているものだってたくさんある。
何をするにも、思った事、思うことが右から左にはいかないし、時間も限られているのである。
時間はたっぷりあるじゃないか、と問われれば否定はできないが、でも限られているのである。
何だよ ! という気分である。

また書く時があるだろう。


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