バラの花柄を摘んだ。
これまでにもちょくちょく、気付いた範囲で咲き終わった花を摘んできたが、特に多くの種類のつるバラが終わりを迎えつつあって、老残の姿をさらさせておくわけにいかず、徹底的に摘んで摘んで摘みまくった。
つるバラは四季咲きではないので、これで実納めで、また会えるのは来年まで待たなければならず、そう思うと、ちょっと寂しい気がしてくる。
今年は去年に引き続き「伽羅奢」の花付きが実に良くて、房状になって咲くのだが、その房に20~30もの花が付く旺盛ぶりで、終わった花柄とは言えズシリとした重さを感じさせて、枯れてなお最盛期を彷彿させているようで、育てがいがあったと、寂しいながら嬉しい気持ちにもさせられた。
去年、病気を食い止められず、今年は株の半分がまだ完全復活していない「ローゼンドルフ・シュパリース・ホープ」はやはり‶半身不随〟が続いていて、健気に咲いた花もきれいには展張せず、花びらそのものが紐のように縮れてしうなどの後遺症を見せていて、ボクの心は大いに痛んだ。
今のところ、枯れもせずに命をつないでいるからそれだけでも健気なものだが、そんな状態でも花を咲かせようとする力は一体何なのか。
生命力にあふれているというか、ボクには健気を通り越して神々しくさえ思える。
今、無農薬の自然由来の液肥を葉に散布して治療兼予防に努めているところだが、株そのものが本来備えているはずの自然治癒力にも期待している。
今年の頑張りを見ると、来年はさらにその期待に応えてくれて、完全復活に近づいてくれるのでは…と期待している。
植物というのは動き回れない分、想像もつかないようなしぶとさと自然回復力を備えていて、病害虫に自力で立ち向かっているのだと信じている。
かくして花柄を摘んでしまったわが庭はめっきり寂しくなってしまった。
行く川の流れは絶えずして…と同じで、これも世の定めと納得するしかない。
今はただ、遅れて開花してきた「ニュー・ドーン」が唯一、まだ盛りの最中にあって華やかさをつないでいてくれている。
来週の後半くらいまでは楽しめるだろう ♪
見出し写真は北鎌倉の浄智寺境内のユキノシタ
こちらの写真は本山の円覚寺のユキノシタ