暮れの大掃除の何か一つくらいは手伝おうという殊勝な心掛けの持ち主なのだ。
もちろん現役時代は大みそかまで仕事があり、家に戻るのは除夜の鐘が鳴り響いてしばらく経った後だったのだから、手伝おうにも物理的な時間がなかったという訳なのだ。
その罪滅ぼしということでもないのだが、ガラス磨きだと手を抜けば抜いたなりのガラスが残るし、逆もまた真なりで、成果は一目瞭然なので分かりやすい。
今年はちょっとコンチクショウと思っていたことがあって、恨みを晴らす好機としても逃すわけにはいかなかった。
9月30日に上陸して翌10月1日に関東地方の北、新潟県辺りを通って東北に抜けた台風24号がもたらした南寄りの強風に巻き上げられた海水が南岸の陸地一帯に降り注ぎ、その風をまともに受けた植物は哀れ塩害を引き起こして葉を一枚残らず落とされてしまったのだった。
お陰で、鎌倉の今年の紅葉は惨憺たるありさまで、実に寂しい思いをさせられた。
我が家の庭でも落葉樹の木々の葉は塩を浴びた直後にすべて茶色に変色して散ってしまったし、愛しのバラたちの多くも、あの照りのある厚手の葉さえ茶変して落ちてしまい、ひと月あまりたった11月頃から再び新しい葉を展張させるなどのいらぬ労力を使わされて、いささかお疲れ気味である。
かくなる上はきちんとしたせん定を施し、寒肥をたっぷりくべて体力を養ってもらわなくてはいけないのだ。
で、リメンバー・パールハーバーじゃないけれど、痛みを忘れないために塩を吹き付けられて曇りガラスのようになってしまった南側のガラスは掃除もしないで放りっぱなしにしておいたのだ。
そして、ついに吉良邸に討ち入った四十七士の如く、その恨みを晴らす時がやってきたという訳なのである。お立合い!
ということで、まず着手したのはパソコンを置いている2階の部屋のガラス戸から。
ここには天井から床まで大きく空いた幅2間ほどの開口部に両開きの折り戸があって、ここ3か月というもの、すっかりボクの視界を遮っていたのだ。
ガラスの表面は塩の結晶でカチンカチンになっていて、指で表面を撫でてみるとザラザラととても不愉快な感触である。
で、まず緩く絞った雑巾でガラス表面の汚れを拭き取り、次にガラスに吹きかけて使うスプレー式の液体洗剤を吹きかけて拭き取り、最後に乾いた柔らかな布で拭くという3段構えで念入りに磨いたのだった。
敵の抵抗は肩透かしを食らったように、それはそれはあっけないものでしたよ。
ふん、口ほどにもない奴らめ。もう大暴れは止めたまえ。いいね!
おかげで曇りガラスはまるでガラスをはめていない窓みたい。
白内障手術から戻ってきて見た景色の如く、キレッキレの青みがかったくっきりした世界が広がったのだった ♪
午前中に2階の7枚のガラスを磨き、昼食休憩。ところが、あれよあれよと黒い雲が近づいてきて日がさえぎられてしまったので作業は止め。
ガラス磨きは晴れの日に限るのだ。少なくともボクはそう。そう、気分屋なのだ。
残りはあと3日。それくらいあれば十分である。
正月に遊びに来る孫たちや、時折訪れるシジュウカラやジョウビタキ、ヒヨドリたちに注意してあげなければいけない。
「ここにはガラスがはまっているからね」と。
追記 朝起きてすぐに外に出しておいた温度計を取り込んだら何と-1.5度とデジタル表示されていた。
起き抜けにほとんど裸同然でベランダに出てみたが中天に月がかかり、星が冴え冴えと光っていて、寒さは肌を突き刺すごとくキリキリと迫ってきた。
寒い訳である。
昨日14:40過ぎの富士山=江ノ島の弁天橋から
光は戻ったが空気は冷たかった。海の色が冬の色をしている
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