しばらく味わうことのなかった暖かな雨だ。
思わず濡れて見たくなってベランダに出てみると、空気そのものも今までの〝寄らば切るぞ〟のツンツンしたところもなく、どこか友好的に身体を包み込んでくる。
肌に直接降りかかる雨も心持優しく、自然との距離がぐっと縮まった感じさえ受ける。
まさに冬と春の違いと言ってよい。季節は確実に動いたようだ。
日本文学研究者のドナルド・キーンさんが96歳で亡くなったというニュースを見ていたら、在りし日のキーンさんの肉声が流れてきて思わず耳をそばだててしまった。
何てきれいな日本語を話すんだろう!
確かに一部の単語や言い回しでアクセントやイントネーションに外国人に特徴的なクセのようなものが現れるのは致し方ないことだ。
そういうものを差し引いても尚余りあるのが、丁寧で分かりやすい、聞いていてこちらの背筋がピンと伸びてしまうような日本語なのだ。
それらは、確かにボクたちも生まれながらに使ってきていた言葉の数々であり、ごく自然に口の端を突いて出てきていた言葉のはずである。
だから何ら物珍しくも不思議な日本語でもあり得ない、むしろ残しておかなければいけない美しい日本語なのだ。
それを、いつとはなしに日常生活の中でどこかに置き忘れてきてそのままにしてしまっている、もはや絶滅危惧の日本語と言ってよい。
日本国籍を取ったキーンさんがその美しい正統的と言ってもよい日本語で語っている姿を目の当たりにして、何かとても居心地の悪さを感じてしまった。
ああいう言葉遣いをして、きれいな日本語を話したいなぁ、と。
キーンさんの日本語の美しさに改めて感心しながら、こういう思いをかつてどこかほかの場面でも感じたことがあったなぁ…と思い出した。
……? そう、あれは1990年か91年だった。今からかれこれ30年も前のことだ。
南米のブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、ボリビア各地の日本人移住者たちのところを仕事で尋ねて回ったことがある。
その時、日系人たちが日常使っている現地の言葉以外に、家の中や日系人同士では日本語を使っているケースが多く、その子供達も含めて、今思い出せばキーンさんが話していた日本語にそっくりの日本語を話しているのを肌で感じてびっくりしたことがあるのだ。
その驚きを移住者を支えていた当時のJAIC職員たちに話すと「そうなんですよ、海外に移住した日本人の方々の間では昔からの日本語がそっくりそのまま生き残っているんですよ。時が止まったみたいに…。行儀などの伝統的な振る舞い方も同様です。日本ではとっくに消えてしまっていますけどね」という答えが返ってきた。
まるで冷凍保存でもされているかのようでもあり、化石のようでもあり、不思議な感じがしたものだ。
ボクたちは言葉というものが生き物のように日々変わっていくものだということを頭で理解している。
だから言葉は自然と乱れもするし、日々流されても行く。そして流され変わっていくとしても、そのことに特段抗おうともしない。ましてや不都合を感じることもほとんどない。
海の彼方の日本人テリトリーでは昔ながらの美しい日本語が口伝で大切に伝えられていき、片や、日本語を一から正しく学んだ人たちが文法通りに丁寧に言葉を並べていくと、キーンさんのような美しい日本語を話すことができる!
そしてボクたちはせっせと日本語を壊していく。この彼我の差は大きい。
美しい日本語を耳にすると何か胸騒ぎのようなものがして落ち着かず、心に突き刺さるものがあるのも又事実なのである。
わが家ではつるバラの葉の芽が動き出した。上から「バレリーナ」「ノリコ」「サハラ98」
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