――関西電力の会長、社長ら役員20人に原発立地先の町の助役から現金3億数千万円が配られていた。
――かんぽ生命保険の不適切販売に関して、この問題が表面化する以前に報道番組で取り上げた国営放送に対して、元総務事務次官から天下った日本郵政の副社長が恫喝し、これに慌てた経営委員会が適切な対応を求めて国営放送の会長を注意し、続編の内容が一部修正され、放映自体も延期されたという。
――あいちトリエンナーレの「表現の不自由・その後」の展示が一部の偏った勢力からの異常な抗議で展示中止になった問題で、文科省がいったん決まっていた国の補助金7800万円を交付しないことを明らかにした。
この3つのニュースは昨日の朝刊に同時に掲載されたもので、ボクは正直言って心底呆れた。
普通は呆れる以前に驚き、あるいは怒りが湧いてくるものだが、そういう普通の感覚を通り越してしまったとしか言いようがない。
だから呆れるしかなかったということだろうと思っている。
記者会見して釈明した関電社長は「無理に返すと助役との関係が悪化してしまいやしないかと心配して預かっていた。機会を見て返すつもりだった」と釈明した。
こんな…子供だってもっとましな言い訳を考えるだろうに。
放送関係者にとっては放送事業免許を得て放送を続けているだけに、その事務方トップは無視できない存在の筆頭格である。
退官後とは言え、役所に対する影響力を考えるとそれなりの気を遣うのも無理からぬところがあるにはある。
その立場にいた人物が、予算一つ作るのにも国会の同意が必要な立場の国営放送に向かって発する言葉が特別な意味を持つということを知っているからこそ、恫喝という異常手段に出たわけだろう。
ボクの目には卑劣極まりない行為としか映らない。
もっとも、そんな横車に過剰反応してジタバタする経営委員会も幹部連中も情けない限りで、頭を丸めて引っ込んだ方がいい。
でもだれも責任取らないぜ。
そしてもうひとつ。「表現の不自由・その後」展はトリエンナーレの一部である。
その一部を指さして気に食わないからといって一旦OKしていた補助金全額の不交付を決めたことは、どう考えたって筋が通らないし、第一、お上が気に入らないと言ったらなんでも思い通りになってしまうのか?
それこそ表現の不自由がまかり通る世の中になってしまう。
憲法で保障された表現の自由って何なのさ。
この所管の文科大臣はかねて右寄りの発言で知られ、現行の国民主権の憲法をごみ箱に捨てたくてうずうずしているハギュウダコーイチである。
アベなんちゃらの代弁者、側近中の側近でもある。
大臣は関係ないだろうって?
んなことぁ~あんめぇ、おおあり名古屋のコンコンチキに決まってらぁ。
いささか乱暴かもしれないが、3つの問題で呆れた部分を並べると、共通して横たわっているのが、権限や権力を持ったものの「慎みのなさ」と言うことに尽きる。
みんな一線を越えてしまってダンビラを振りかざし、切りかかっているのだ。
昔の日本人なら「こんなことをしたらお天道さまに顔向けできない」と恥じ入って絶対にやらなかったようなことばかりじゃないの。
そう言う意味で、社会や組織の上に立つ人物たちが恥も慎みも忘れて己の持つ力を勝手気ままに使っているというのが図式であって、日本人の劣化も行きつくところまで来たのかというのがボクの感想である。
政治のトップが率先して慎みのない政治を展開しているのだから、それが社会にしみ出して行っているのも当然と言えば当然なのだ。
昔は政治権力を含めて、行使できる立場の人は慎みを持って滅多に「力」を使わなかったものなのに…
でも心ある人は、一連のことを苦々しい思いで見つめていることだろうさ。
それにしても、呆れて顎が外れそうだぜ。情けない。
江ノ島と湘南海岸の間には「砂嘴(さし)」が伸びていて、干潮時にはかろうじて歩いて渡れる
これは26日の写真だが、ボクが見た時は一部がまだ水に覆われていた
左側からも右側からも波が来ているのが分かる(江ノ島側から撮影)
見出し写真は今朝05:12の東の空