今年もぼちぼち年賀状が話題に上る季節になった。
明治7年の太政官布告まで引っ張り出して喪中なのかそうでないのかを検討し、結局、例年通り出すことに決めたというブロ友さんの一文を読んで、「そこまで…」とびっくりしたのだが、やはり年の暮れを迎えるにあたっての一大行事にはそれくらいの注意力と労力が必要なんだと改めて感じさせられた。
一方で友人の一人が「今年でごく親しい人を除いて年賀状を止める」というのを聞いた。
「顔も思い出せないような人と賀状のやり取りをする意味がないし、そういう訳なら失礼にも当たらないだろう」という判断だと明かした。
実はボクも2018年の賀状で「今年古希を迎えるので賀状は最後にしたい」と「年賀状仕舞い」を宣言して実行している経験者なのだ。
理由は全く同じだ。
ただ、ごく親しい人や親せきなど、これからも付き合いが続くような関係にある人には変わらずに出しているが、仕事で1度くらい接点があったというだけで賀状のやり取りをしていたようなケースが随分あって、それらを整理できただけで随分身軽になれた。
第一、印刷で「謹賀新年」と書かれた添え書き一つない賀状をもらったところで、何の意味もないし、はっきり言ってムダの一言に尽きる。
ボクのケースで言えば2~3色の色を使った版画を掘って、1枚1枚丁寧に刷って…というような賀状を出していて、「毎年楽しみにしています」などと言われたりして、それはそれで喜んでくれる人がいたのも事実だが、暮れの忙しい時期にそれも大変だったのだ。
大体、大晦日まで仕事があるような職業に就いていたものだから、除夜の鐘を聞きながらバレンを握って版木をこするなんて作業を続け、賀状を出すのは元旦の朝にわが家に届く賀状とすれ違いにポストに持っていくような始末だったから、あれは松の内に届いていたんだろうかと反省しつつ、どうしようもなかったのだ。
歳を重ね、馬力も意欲も薄れるにつれてパソコン印刷に切り替えたが、オリジナリティーを出したつもりでもしょせん印刷は印刷で、味気なさはぬぐいようがない。
だから年賀状仕舞いは必然であり、タイミングを計っていたに過ぎないものを実行に移しただけだったのだ。
ボクは手紙を書くのが割と好きで、自分で撮ったお気に入りの写真を印刷して絵ハガキにして季節の挨拶やらお礼状に使い、そこにカナ釘流であっても文章を書き添えるのをいとわない。
だから年賀状代わりになるし、「つながり」という意味では賀状以上の効果もあるんじゃないかと思っていて、ガラスペンときれいな色のインクを使うとこれがまたなかなかいい味わいが出るなぁと自画自賛しているくらいなのだ。
昨日の朝刊に「年賀状どうします」という特集が載っていた。
そこにも終活年賀状やら自作木版画の賀状のことやらが書かれていたが、賀状を止めてしまった人が「折に触れて手紙を書き合い、つながっています」という声を寄せていて、「だよね」とうなずくボクでありました。
坐禅しに行った円覚寺は今、花が少なくツワブキが目立つくらい
そのほかではサザンカが咲き始めている
白雲庵前から見える富士山
見出し写真は居士林のモミジ。鎌倉の紅葉は12月初旬だが、この居士林のモミジは少し色づきはじめた