久しぶりにテレビの画面がにじんでしまい、おまけに鼻水まで出てきてしまった。
金曜日から降り出した雨は土曜日の勤労感謝の日になっても降りやまないどころか、横殴りに吹き付けるありさまで、確かに窓の外もにじんでいたのだが、画面のにじみはまた別の現象である。
あいにくの天候のお陰で外には行けないし、おまけに寒い。こたつ布団を引っ張り出して掘りごたつにかぶせ、こたつのシミになるしかなかったのだ。
で、活字に飽きたころ、国営放送が5週連続で放映した「少年寅次郎」の最終回をビデオで見て不覚にも落涙してしまったという訳なのだ。
久しぶりのことだったので、この際思いっきり声を上げて泣いてやろうかと、ふと思ったが、涙をこぼす引き金になったシーンの音声がよく聞き取れなかったのでビデオを戻したりして確かめるなんて余計なことを繰り返したため、瞬間の感動というか、その時の瑞々しい感情が薄らいでしまったことは大誤算で、嗚咽にまで届かなかったのが残念と言えば残念だった。
でも涙が流れる時の、涙腺が緩む時の感覚って悪くない。
つい最近終わったばかりのW杯ラグビーの日本の試合を応援している時も、何度かウルッと来かける場面があった。
あれって何かが琴線に触れると起こる現象で、琴線自体の本数や感度は人によって違うだろうが、持ってない人ってのはいるんだろうか。
いるんだとしたら何て気の毒な、というしかない。
涙腺評論家もしくは琴線評論家じゃないので、理詰めで説明できないのがもどかしいが、あの現象が心地いい場合ってのは第三者の立場にいてこそ感じられるもののはずで、だから気楽に琴線を緩めたり涙腺を開いたりすることができるのである。
当事者になってしまったら、嬉し泣きや感動場面に出くわしてこぼす涙の場合はいいが、それ以外はちょっと辛いものがある…
ボクの来し方の人生で記憶に残っている〝画面滲じみ現象〟というものが2つある。
一つは中学2年生の頃のこと。
ヘレン・ケラーを描いた「奇跡の人」という外国映画を横浜駅前の映画館に初めて1人で見に行った時のことだった。
目も耳も機能せず三重苦とも四重苦とも言われたヘレンケラーが思春期の自分をコントロールできずに家庭教師との間で壮絶な日々を過ごす中で、ある日、井戸から流れ落ちる水に触れた途端、まだ目も耳も機能していた幼い時に記憶していた言葉が思わず口をついて出てくるシーンがそれ。
その瞬間、雷か何かに打たれたように、とぎれとぎれに「ウオーター」と叫ぶのだ。
そのラストのシーンがあまりに衝撃的で、ボクの涙腺は完全に決壊してしまい、涙が後から後からあふれてきて止まらなかった。
映画は終わったので館内は明るくなるし、涙でぐしゃぐしゃになった顔を他人には見られたくないという中学生の妙な自負心もあって、かぶっていた学帽を目深にかぶり、椅子に隠れるように深く座ってそのまま立ち上がれず、次の回が始まる前の暗がりが戻るまで席を立てなかった。
あの時、嗚咽まで現れかけてヒックヒックしそうになったのだ。それを周囲に悟られないように必死に抑えていたということも立ち上がれなかった理由である。
60年近くも前のことなのに、今でもあの時の光景は映画のラストシーンと共に鮮明に覚えている。
もう一つは、そんな感動や涙とは無縁になっていた50代初めのことだった。
こちらは映画館じゃなくて家のテレビで見た「ALWAYS 三丁目の夕日」。
長くなってしまうのでこちらは細かなところは省くが、何気なく見ていたはずがこの映画では茶川竜之介という貧乏作家と暮らす少年が、高級車に乗って突然現れた親に連れられて竜之介の家を出ていくのだが、スキを見て車から逃げ出し、竜之介の元に逃げ帰る。「ダメだ、親のところに戻れ」と怒る竜之介にセリフを一言も発することなく身体全体と目を使って「嫌だ!」と必死に訴える姿を見ていて、映画の単なる一シーンと分かっていても涙があふれてきた。
あの涙の流れ方は「滂沱」と言って間違いない。
人生でボーダのナミダを流したのはあの1度きりである。
多分、久しく感動のナミダなんていうシロモノと無縁の生活を過ごしてきて、突如蘇った中学生時代の涙の記憶とボクにもまだ涙腺というものが残っていたんだという、新たな、全く別物の感動に包まれたという側面も見逃せないんだと思う。
それが、滂沱の理由なんじゃないかと思っている。
何はともあれ、感動で流すナミダっていいな。
時々流したいもんだと「少年寅次郎」を見てつくづく思ったものだ。
以上先週撮影した鎌倉・東慶寺の印象