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平方録

成長の一里塚をたどっていっているようだ

姫のことを少し。

最後に会ったのは夏休みに入って間もない8月の初めだった。
原宿の竹下通りを歩いて買い物がしたいというリクエストに応えて、ジジイには場違いな少女たちの聖地を一緒に歩いたのはもう遥か昔のことのようだ。
あれからまだ2か月ソコソコしか経っていないのだが、姫の背丈はぐっと伸びていた。何センチかと聞くと「計っていないから分からない」と言っていたが、身長が伸びる時期に差し掛かったようである。

一緒にいても幼稚園や小学校の低学年の時と違って、始終ボクにまとまりつくようなことはなくなったが、ボクが他の家族と話しているとちゃんと聞いていて、笑ったり、口を挟んで来ることがある。
あるいは、何気ない時に親愛の情 ? を見せる時があって、オヤッと思うと同時に嬉しくもなる。

9月に入って間もないころ、5,6年生の中から足の速い児童が選抜され、学校の授業が終わった後に数日間、日暮れまで特訓を受けたことがあったそうだ。
それは市内の陸上記録会に送り出す選抜選手選考の場だったようだが、選ばれなかったことにショックを受けて泣きながら帰って来たという話を聞いて心配していたのだ。
その話を姫にすると、ケロッとして「あれはね、6年生の思い出作りなの。だから私より遅い6年生が選ばれたし、そういう会だから平気」と言う。
どうも〝大人の世界〟ってやつの存在に気付いたようで、それで事態を冷静に理解できたようである。
それがいいことか悪いことかは別として、これからの成長過程では様々な局面に出会うことだろうが、その最初の第一歩になったようだ。
人はそうやっても成長していく。

もう一つ気になっていたのが反抗期。
誰にでもあるのだが、あの心根の優しい姫がなぁとちょっと信じられない思いでいたのだが、なるほどと得心がいった。
やみくもに反抗しているわけではなくて、明確な理由があったのだ。
父親に対する態度を見ていて、ピンときた。

両親は反抗期で片付けているが、実際は「父親に対する反発」という側面を無視したら事の本質を見失うだろう。
それは子供に対する気まぐれで過剰な介入と、時として見せる母親に対する乱暴な言葉遣いや態度に対する反発のように見受けられるのだ。
父親の存在なんて、大所高所からニコニコと見守っているだけでいいんじゃないかと思う。
しつけにしたって日常のヘンなふるまいにしたって、そういう日常的なものについては日ごろ接している母親に任せておけばいいのだ。
気になることがあれば直接頭ごなしに子供に言うのではなく、矯正の必要があると感じたら母親を通してやればいい。
そして仮に人生を狂わすような一大事だと思った時に父親が出て行って知恵を出してあげればいいだけのことだ。
なにより子供は両親の背中をよお~っく見ているのだから。

姫は感受性が豊かなだけに、いいろいろ敏感に反応するようである。
ま、そうやって大波小波にもまれながらも人は成長していくのだ。
「冬休みにはジイジのところに行きたい」と何度も言っていた。
来れるといいね。待ってるよ。
その前に誕生日祝いだな。楽しみにしていてよ。


松山駅9:15発の特急しおかぜ(右)で岡山へ

瀬戸内の島々を眺め

車窓右手には石鎚の峰々を

峰々は深く険しそう

沿線にはセイタカアワダチソウ?が目についた


「さくら」「ひかり」と乗り継いで富士山を横目に小田原へ
山陽新幹線は外国人旅行者がとても多かった。ラグビー観戦の帰りだろうか。
東海道新幹線は米原から大勢の客が乗り込んできて首を傾げたが、北陸新幹線が台風被害の影響で止まてしまっているので名古屋、東京方面への迂回コースになっているようだった
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