昨夜は電気を消して木々の葉に雨がぶつかる音を聞きながら、闇の中でしばらくじっとしていた。
夕立と言うものにあまり縁がない地域なのだが、それでもこの夏、2,3度は雷鳴とともに豪快にたたきつける雨音を聞いていた。
それに比べると穏やかな雨音なのだが、乾ききった大地や木々の葉から立ち上がった埃くさいような土臭い匂いも辺りに漂い、何となく懐かしい気分にさせられる。
一夜が明け、昨夜から降り出した雨は、通り雨ではなく、昼頃まで降り続く予報になっている。
カラッカラの庭には実にありがたい恵みの雨で、久しぶりにゆっくりと晴耕雨読の真似事が出来るかもしれない♪
晴天が続くのは嬉しいが、静と動、ヒトには両方が欠かせないことは言うまでもない。
今夏は烈日の激しさとともに、「動」の機会に恵まれ過ぎたきらいがある。
お陰でボクもよく日に焼けたが、時には体を休めつつ、静かに何事かに思いを巡らせる機会がもっとあっても良かった。
このことは裏返せば少雨という傾向をもたらし、地域に寄るのだろうが、米どころの不作や果物王国でのシャインマスカットの出来具合が悪いなど、農作物への影響も小さくないようなのがいささか心配である。
山形の友人も「暑さと少雨のせいだ。今年は散々だ」と野菜の出来の悪さを大いに嘆いた。
夏の太陽の恵が秋の実りの元になっているわけで、その太陽が万が一にも「凶器」扱いされるとするなら由々しき事態と言わなければならぬ。
そんなことをぼんやり考えながら雨音を聞いていた。
幸いなことに、暑さの方も一段落ついたようで、今朝はとてもしのぎやすい。
ただし、今のところ…
明るくなるにつれ雨脚が強くなってきた。
月曜日は植木ゴミの回収日なのだが、大きなポリ袋2つは雨がポツポツ落ち始めた昨夜のうちにクリーンステーションに運んでおいた。
傘を差して何度も往復するのを嫌ったためだが、本当は「当日の朝出し」が大原則で「前夜出し」はご法度なのだが、同じ思いの人が多いと見えてクリーンステーションにはすでに植木ゴミの山が出来ていた。
赤信号みんなで渡れば怖くない…も時と場合に許されるという事にしておこう。
片瀬漁港赤灯台 その向こうに白灯台、そして沖には巡視船
その白灯台と巡視船
白灯台防波堤
腰かけている人の頭の上にチラッと富士山の頭がのぞいている
漁船や遊漁船が出払った片瀬漁港