へぇ~、デモに参加するのに、いちいち学校に届けるのかよ、というのがまず最初の感想。
自分自身を振り返ってみて、届けが義務付けられていたとしても、その通りに届けを出してからデモに行くか? そんな従順な生徒じゃあなかったよなぁ、というのが2番目の感想。
だいたい、思想信条にかかわることに関して何で届を出さなきゃいけないのさ、憲法に規定された思想信条の自由の保障に反する行為じゃないの? という疑問がわく。
そもそも、これまで文部省は高校生の校外の政治活動参加について、禁止の通知を出していたそうだが、選挙権年齢の18歳以上への引き下げに伴って、政治活動参加を解禁したんだそうな。
そこまではいいのだが、事前届け出制にしたければそれも認めるよ、と煮え切らなかったことが原因のようである。
「届は必要ない。参政権行使に関する政治活動は自由である」となぜいえないんだろうねぇ。そこが不思議。
信用している面と信用していない部分と両方があって、おっかなびっくりなのである。
信用しきれないなら、そもそも参政権の引き下げはすべきじゃなかったんだ。それを認めた以上、彼らを信用するしかない。
至極単純な理屈だけどね。
だいたい16~18歳の若者をナメない方がいい。
この頃から世の中の矛盾や筋の通らないことに怒りのホムラをメラメラと燃えたぎらせるんである。
私の場合は中学2年生だった14歳当時の1962年、学校から家に戻って目に入った夕刊に「米がキューバ海上封鎖」「米ソ核戦争か」というとびきり大きな見出しを見て「あ~ぁ、これで地球もおしまいか」と思ったものである。
しかし、わが身にはそれに抗う力はなく、運命を委ねるだけ。心細い思いをしたものである。
あれがきっかけだね。社会に関心を払うようになったのは。
あのキューバ危機以降、ケネディはベトナム戦争にも手を染め、高校生になると新聞に「北爆」の文字を見ない日はないようになり、横浜港にも米軍の上陸用舟艇(LST)が頻繁hに出入りしていた。
積み荷は戦車。戦闘で壊れた戦車を相模原の米軍補給廠で修理し、修理の終えた戦車を再びベトナムに送りだしていた。
高1の同じクラスにそのLSTの船長を父親に持つ息子がいて、そいつはいつも教室の片隅で暗い顔をしていたのを覚えている。
一度も口を聞いたことはないが、多分相当屈折していたはずである。
昔も今も、高校生っていうのは案外、ちゃんと世の中を見ているんだよ。
第一、最初から100%の人間なんていやしないから、間違ったってそれはそれでしかたないんだ。
彼らに参政権を与えるというのは、大きなことで、その責任も負ってもらいましょう。
そういう大事な判断を委ねる若者に、いちいち届けを出させるってぇのは、如何なもんでやんしょうね。
近所の畑でナノハナが咲きだした。
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