平方録

焼鳥屋のシジミのみそ汁

今日から二十四節気の一つ「大寒」だそうで、一年で一番寒い時期である。
いくら暖冬とはいえ、この時期はやはりご多分に漏れず寒い。普通は三寒四温というのだけれど一向に「温」は現れず、「三寒四寒々」状態である。
昨日は横浜イングリッシュガーデンの会議に出るため横浜に出かけた。横浜駅との連絡バスが休みの日で、約20分川沿いを歩くのだが、陽射しがあるうちはまだ良かったが、太陽が沈んだ後はもういけない。
ビル街の上には満月に近づいている月が冴え冴えと光っていて、運河を吹き渡ってくる風は恐ろしく冷たく、凍える寒さとはこのことかと感じられるほどに身体の芯から冷えてしまった。

そのまま始まったラッシュに身を任せて、込み合い始めた電車に乗り込めばそれなりに暖かさを取り戻せるのだが、好都合と言うべきか、はたまた悪魔の誘いか、改札口への道沿いには赤ちょうちんがズラーッとぶら下がっていて、その中の立ち飲み屋にはすでに大勢の先客が陣取っている。そんな具合だからそこに紛れこむことに何の抵抗もないのである。
誘蛾灯に誘われる真夏の虫のように、そのうちの一軒に吸い込まれ、芋焼酎のお湯割りを注文した。
カンカンに熱したお湯割りを期待したのだが、世の中は往々にして期待とは正反対の事が起きるものである。
「こんな寒い日に、バカタレめ!」と店の間抜けさに毒づきつつ、そこは立ち飲み屋の気安さ、一杯だけでさっさと切り上げ、満員電車の人となったのである。

わが家へは最寄駅から15分、田んぼの中の道をとぼとぼ歩いて帰らなくてはならない。運河沿いの道を歩くのと同様、ある種の決断が必要だなぁと感じつつ乗っていると「それにしても中途半端ではないかい」。そうささやく声がわが身中から聞こえてくるではないか。
その声を待っていたわけではないが“身内”がそういうのだから、むげには出来ない。
田んぼ道を行くわずか15分ほどでよい、その間の暖を体内に貯えるべく、大義名分を背負って縄のれんを押し分けたのである。

ここはさすがに年季の入った店だけあって、気が効いている。
お湯割りの注文に焼き台に乗せていたやかんから注ぎこまれた湯はカンカンに熱せられていて、焼酎を注ぎ込めば、これぞ五臓六腑にしみこんでゆくのが手に取るように分かる。こうでなくっちゃ!
おまけに「呑ん兵衛にはこれですよ」と、熱くしたシジミのみそ汁まで出してくれた。

客は他に1人いるだけで、親爺がいつになくしんみりしているので、話し相手になると、2歳半で当時の満州のハルピンから妹と両親の4人で引き揚げてきて、父親の故郷の鹿児島に落ち着いたこと、その後に安心した両親が2人の妹を産んだこと、たった1人の男の子だったが、両親と妹3人を故郷に残して千葉の製鉄所に勤めたことなど、身の上話を聞かされた。
両親が満州に移り住むくらいである。故郷に帰っても土地があるわけでもなく、ならば、と父親同様、故郷を離れたんだろう。
店の後を継いでくれていた一人息子に突然死されたことも尾を引いているようで、最後は涙ぐんでしまって、しんみりした酒になってしまった。

それにしても、この寒波はまだ続くようで、暖冬予報はどうした! と詰め寄りたいところだが、いくら大枚を注ぎ込んで宇宙からの眼を持ったとしても、予報の精度も怪しいもんである。
人知の及ぶべからざるところ多々あるべし、というところか。



行きつけの店とはありがたいもので、座るなり「寒かったでしょう」と熱くしたシジミのみそ汁を振る舞ってくれた。
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