今の時期だとちょうど南の空のそれもあまり高くない辺りにオリオン座が輝いているのが目に飛び込んでくる。
昨日はたまたま東の空に上ってきたばかりの三日月がかかり、良く晴れた満天の星空に印象的なアクセントを加えていた。
ちなみに今日は曇り空で、それでも所々に星の瞬きが見えるから薄曇りといったところだろうか。
室内に戻ると歯を磨き顔を洗う。
真冬になれば階下に降りてガスの点火スイッチを押してお湯を出すところだが、まだそんなことをしないで済む。第一、昨日は真夏日である。今朝もその余韻が残ったままだ。
顔も洗い終えると今度は東側の窓のシャッターを開ける。
間もなくお出ましになるであろう太陽の最初の光の一筋から部屋の中に取り入れようという魂胆である。
朝の光は好きなもののうちの一つなのだ。
トイレはこの一連の流れのどこかで行くが、たいていはベッドから離れた直後に膀胱の緊張を解いてやることが多い。
こうして一連のルーティンーが終わるとパソコンの前に坐り始動ボタンを押す。
通常ここまでの所要時間は概ね15~20分といったところか。
パソコンはストレスなくすぐに立ち上がるから、まずgooブログのアイコンをクリックする。
開くとそこには読者登録しているブログの新着状況や新着コメントなどが表示されているので、それをチェックする。
すると午前2時とか3時まで起きているようなボクと正反対の夜型の人のブログが湯気を上げながら、「新着~!」と手招きしているので、たいてい2本だが、それを読む。
この2本の筆者のうち1本はボクと感性がよく似ているとみえて(多分同年代)、読みながら相槌を打てるような書きっぷりが魅力。しかも、ボクが全く知らない世界を知っているようで興味深いのだ。
もう1人は、この感性にはなかなか付いていけないなぁと思うのだが、その目の付け所が斬新で、かつまたそういう感性に基づいた生活ぶりがユニークで目が離せないでいるのだ。
1本目の人はボクのブログにある日突然(最初はみんな突然だけど…)コメントを寄せてくれて、どんなことを書いている人だろうと思ってその人のブログを読んでみたら読者になってしまった。
そんなことで4時に起きてきてもあっという間に4時半を回り、さぁ今日は何を書こうかなと思うのだが、ここひと月程はどういう訳かまるで頭に浮かんでこない。
何かテーマはないかなどと漠然と考えていたのでは、あっという間に時間は過ぎ去り、すぐに5時を回ってしまい、いささか慌てることになる。
今朝も何かヒントはないかと思ってパソコンと同じテーブルの上に積み上げている本の中からカレーライスのエッセイをまとめた本をめくり、その中から向田邦子のエッセイを1本読んでしまった。
かくして、ますます時間は食っていくのである。
慌てたって見つからないものは見つからないから、そういう時は本当に困る。やむに已まれず昔話など持ち出してきてもっともらしく書いているのは、そういう裏事情ああってのことである。
たいていは前の晩、寝る前までには書きたいテーマが何となく決まるのだが、それが浮かばないというのは「ぼぉ~っと生きてる」からだろうと思い、忸怩たるものがある。
まぁ、ボケ防止の意味も込めて始めたブログで、ボケの兆候が顕著になってくるようではブラックユーモアになりかねない。
ここまで書き連ねて来たことも苦肉の自虐ネタのようなもので、我ながら情けない。それでもなお平然と書き連ねるところなど、イイ気なものよと鼻でせせら笑いたい気分だ。
書けば書くほどドツボにはまっていく。もうよそう。
稲村ケ崎もこういう角度で見ると広重の名所浮世絵に登場しそうな趣がある。岬の先に薄っすら見える山並は伊豆半島の天城連山
小動岬脇から七里ヶ浜を隔てて稲村ケ崎、逗子・葉山方面を見る
円覚寺の裏山の広葉樹も塩害にやられて茶色に変色してしまっている
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heihoroku
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