酷い嵐だった。
起きた時にはすでに始まっていたし、寝る時もまだ片鱗を残したままだった。
おまけに気温は10℃を少し上回る程度でこの時期のものではないし、雨を真横から飛ばしてくる風は北からだから体感温度は押して知るべし。
天が下した〝強制的蟄居命令〟だと思えばそれも受け入れるにやぶさかではないが、ボクの置かれた立場では自主的な蟄居は既に実行に移しているのであって、改めて強制されるいわれはない。
自分自身が納得できれば命令や強制がなくたって自主的に実行出来るし、来し方そうやってきた。
手間のかからない部類のニンゲンだと思っているのさ。
さて、こんな話はこの辺で。
強風・強雨に見舞われてもなお、一つ胸をなでおろしたことがある。
サクラだ。
こんな嵐が満開の盛りのころと重なって見ろ、花は一夜にして吹き飛ばされ、見る影もなくなってしまうだろう。
すぐに西行法師の歌が頭に浮かんだ。
春風の花を散らすと見る夢は さめても胸の騒ぐなりけり
実はこの歌、落花狼藉を悲しむ気持ちも当然含まれてはいるが、それ以上に感情を高ぶらせているのは落花の情景そのものに引き付けられ、息を飲んでその美しさに没入している心である。
サクラの花の散るさまは、確かに他の花にない魅力を湛えている。それゆえに人を引き付けても来た。
でも、寝静まった夜中にこれをやられ、朝起きて見たら何事も無かったように花が消えていたっていうんじゃ、話にならない。
ということで、そういう情景を見ないで済んだのは何よりだった。
その代わり、わが家のツバキがだいぶ蹴散らされた。
蹴散らされたという言葉を使ったのは所以のあることで、首からポトリと落ちる椿の場合、バラバラになって落ちるのではなく、原形をとどめたままが定番である。
しかし、昨日地上に落下した花を見ると、原形をとどめているものは稀で、ほとんどが花びらをはがされて転がっていた。
無理に枝から引きはがされての落花と言うことの何よりの証拠で、それだけ激しい風雨に翻弄されたということを物語っている。
しかし、花が咲いたと言っては何事かを書き、花が散ったと言っては散り方も含めてなにがしかを綴る…
それが春の春たるゆえん、春の持つ魅力であり、実力って言うものなのだろうか。
これぞ落花狼藉
こっちも
礼っ !