時として過激な行動にも走る環境保護団体のグリーンピースのことではなく、野菜のグリンピースのことである。
その旬は確か薫風香る初夏辺りだったと思うのだが、このご時世に、ことさら旬にこだわるのも的外れになってきているのかもしれない。
すでに南国産のグリンピースがスーパーの店頭に並んでいるのである。
表示には鹿児島産と書いてあったらしいが、いくら南の土地でも、おそらく温室栽培なのだろうと推察しているが、ひょっとすると露地栽培なのかもしれない。
季節感のない時代になってしまったと嘆きたくもなるが、流通の発達というのも相まって、産地との距離が縮まること自体は悪いことではない。
子どものころからグリンピースご飯が大の好物なんである。
これが食卓に出るとたとえおかずは何もなくても、何杯でも食べられる。極端なことを言えば一釜食べてしまうこともできるくらいである。
真っ白いご飯粒の中に浮かぶ黄緑色の豆の数々…
そのコントラストだけでも美しいが、それに加えて、ほんのり塩味のついたご飯は、もう理屈抜きにおいしい。
何といっても炊き立てが一番おいしいが、冷めてしまってもかまわない。
毎日でも飽きないし、三度三度出てきても一向に平気である。
お赤飯というのも、ほんのり赤く染まったもち米の弾力やら、小豆の歯ごたえやら、ゴマ塩の風味やら、こちらも大好きな部類に入るが、グリンピースご飯の前では勝敗の行方は明らかである。
そのグリンピースご飯が何と、寒中のこの時期の食卓に登場したのである。
これには驚きを通り越して、欣喜雀躍の思いで出迎えた。
去年の秋ごろの、妻との会話。
「今年はグリンピースご飯を食べなかったなぁ」
「そんなことないわよ。作ったわよ」
「食べたっけ? いつごろ?」
「出回ってるころよ」
「…そうだっけ…?」
そんなやり取りが頭にこびりついていたらしい。
「スーパーでたまたま見つけたのよ。旬とかなんとかは別にして、多分、温室栽培だと思うけど、とにかく買ってきたわよ」と、さやからざるに取り出した豆粒を見せてくれた。
こういう好物に関しては、理屈は後回しでいいのだ。いや、そもそも理屈なんぞ必要ないのである。
ご飯茶碗によそったグリンピースご飯から立ち上る湯気をかいだだけで、シアワセな気分に包まれるのだ。
目に入る白と淡いグリーンのコントラストは、どんな美人よりも魅力的である。
、
ボクにとっては、ボクの感覚では、実に2年ぶりの対面なのである。
ちょうど、間もなく2歳になる孫息子も来ていて、ちいちゃなおにぎりを作ってもらい、おそらく生まれて初めて味わうものだろうが、おどけたしぐさや表情を見せながら頬張っていたところを見ると、おいしかったものと見える。
同志が増えたようである。
白と淡いグリーンのコントラストが美しいグリンピースご飯とさやから取り出したばかりも豆
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