日当たりのよくないわが家の庭の一角で早くもニリンソウが咲き始めた。
もう、かれこれ20年ほど前だったと思うが、三浦半島の葉山町に隣接する「子安の里」という桃源郷のような山里の道端に咲いていたものを一株、持っていたナイフで根と土ごと掘り出してきて庭に植えたのだ。
それが律義に毎年花を咲かせ、次第に株の数を増やしている。
ニリンソウとは「二輪草」のことで、一か所から2輪ずつ花を咲かせるのでこの名が付いたらしいが、まだ1輪しか咲いていない。
「夫唱婦随」なのか「婦唱夫随」なのか、はたまた「同棲してるだけ」なのか知らないが、やっぱり2つ揃って咲いてくれる方が見栄えがするし、どことなくほのぼのした感じを受けるものだが、1輪だけというのはその特徴がそがれる分、物足りないものだということを知らされた。
…どうしたんだろう。
「もう咲くよ」「まだ早いわよ」などと意見の違いでもあって仲たがいでもしちゃったんだろうか。
この「子安の里」は不思議なところで、相模湾を走る国道134号線の陸側に迫る丘陵の内側の谷筋にへばりつくように農家が点在していて、つい最近まで炭焼き小屋があったり、狭い畑を耕すお百姓の姿が浮世離れした異空間にも思えるほどの懐かしさを感じさせる隠れ里である。
これほどの里が海岸道路のすぐ近くにあるということを知らない人も大勢いる。
海が近いせいか暖かい里で、師走の声を聞けば道端に水仙の花が咲き乱れ、ユズをはじめとする柑橘類や畑で採れたばかりのダイコンやホウレンソウが無人スタンドで売られていた。
奔流となって流れる谷川の水はあくまで清冽で、春になれば竹林から掘り起こして来たばかりのタケノコも並んだ。
葉山町にある御用邸から車で7、8分のところに位置していることもあって、美智子上皇后がここの佇まいを大層気に入られ、皇太子妃時代、皇后時代を通じて御用邸に滞在されるたびに子安の里をお忍びで散策されるのを楽しみにされていたという。
そういう話も、ムベなるかなと思わせる隠れ里なのである。
少し前、上皇后が体調を崩されたということがニュースになったが、続報を耳にしていない。
大丈夫なんだろうか。
先の大戦で命を絶たれた人々や、戦後から続く様々な災害犠牲者への真摯な祈りを続け、生き残った人々の話を丁寧に聞き、励まし続けてきた上皇の背中を押し続けた最大の源がこの上皇后だったろうとボクは思っている。
子安の里に足を踏み入れるたびに上皇后は懐かしい光景を目の当たりにして「あらっ」とか「まぁ」などと、小さな感嘆符を連発したんだろうなと、多分同じ道をたどったであろうボクは嬉しく感じたものだ。
その隠れ里も数年前の台風による被害が甚大で、一部の崖崩れ箇所などはいまだに復旧されないまま放置されているところがあるほど。
しかも代替わりが進んだと見えて、それまで好ましいと思っていた家屋敷の佇まいまでもが今風の国籍不明の建物に代わったりで、いささか興ざめなところも出てきているのも事実である。
上皇后にはもう一度、懐かしの地に足を運んでもらいたい気持ちもあるが、この変わりようではがっかりされるだけだろうなぁ…とも思う。
こうやって時代は移ろいで行くのだろうが、やはり寂しさは付きまとう。
それにしても上皇后には元気で長生きしていただきたい。
子安の里生まれのニリンソウの花が開いたのを見てフト感じたことである。
慌てん坊め
近所の池のある公園のジャヤナギの新芽が随分元気を増している