思い返せば小学生の頃、近所に大きくもないがかと言って小さくもない池がありフナやクチボソが釣れていた。
ボクも母親にうどん粉を練ってもらい、それをエサにして釣り糸を垂れたものだ。
エサがエサだからたまに釣れてもクチボソばかりで、ソコソコ形の良いちょっと大きめのフナを釣り上げたことは一度もなく、手練れの大人たちが時々吊り上げるのを羨望のマナコで眺めたものだ。
秋になると父親と一緒に河口に出かけハゼ釣りをしたことがあるが、あのエサにするゴカイを指先でつまんで針に付けるのが嫌で、というか出来なくて、地面に置いたゴカイを棒きれの端で押さえつけ、そこに針を近づけて何とか引っ掛けるというようなことをへっぴり腰てやっていたから、いくらダボハゼと呼ばれる貪欲なハゼでもそんな針とエサに簡単に食いついてくるハゼはなかなかいなかったのだ。
竿を出している人たちが入れ食いみたいにワイワイキャァキャァ騒ぎながら釣っているのを横目に、ほとんど釣れないのだから面白い訳がない。
次第に釣りとは縁遠くなってしまった。
それが復活したのは横浜から鎌倉に越して、既に社会人になっていたが、ある時、たまたま早朝の漁港を散歩していて漁港の内で6~7cmの緑色に光る小さな魚を釣り上げている人を見かけ、話を聞いたらそれがアユの稚魚だということが分かった。
そうか、アユの稚魚は海で育つのかと、その時始めて思い知ったのだが、上がってくる陽の光にきらめくエメラルド色の魚体の美しさに見惚れたものだ。
エサはオキアミを冷凍したものを解凍して撒き餌として使うからゴカイは必要ない。
そしてオキアミと一緒に国道を挟んだところの釣り宿に売っているサビキを垂らすだけで食いついてくると教えてもらい、翌日早速挑戦してみたのだ。
すると、竿をちょっと上下するだけで柔らかい竿先がしなるのが分かり、上げて見ると5~6匹、多い時なら10匹ぐらいが鈴なりになって上がってきて、それが朝日に照らされてエメラルド色にキラキラ輝くのだから、大いに満足したものだ。
春先の事だから漁港の岸壁からは相模湾越しの青い空に雪をかぶった真っ白な富士山が浮かぶ光景に中にエメラルド色の小さな魚体がピチピチと跳ねる光景を想像してもらいたい。
信じられないような光景だったのだ。
たぶん、漁港の岸壁でアユの稚魚が釣れるなんてことは地元の人でも限られた人しか知らなかったろうし、ましてや海から離れた市民には知る由もなかったと思われる。
それで狩猟民族もいたであろうわが祖先のDNAが目覚めたかどうかは分からないが、釣り船に乗る気になって時々、海の上に出かけた。
サビキを買った釣り宿でエサが小さなイワシとか、別の魚の切り身を使うのだと教えてもらい、ゴカイさえ触らなくていいならと、気が向いたのだった。
でも、世の中はそう甘くない。
釣り糸を垂らしてアタリがくるまでじっと待つというのは嫌いではない。
気が短いくせに、そういうものなのだ釣りというものは、と一旦納得してしまえばじっと我慢できるのだ。
暗示にかかりやすい性格なのかもしれない。
権力の巧みなコントロールにはよほどの注意が必要なのだと自覚するに至ったきっかけの一つだと言ってよい。
人間何が幸いするか分からない。
話がそれたが、早朝6時ころに港を出て、午後3時過ぎまで釣りをする。それはそれでいいのだが、それなりの費用が掛かる。
若かった当時、福沢諭吉さん1人であってもボクの小遣いにとっては大枚と言え、もちろん同僚たちや後輩との付き合いもあるし、レコードも欲しい。本も読みたい。右から左にそう簡単に出来ることではなかったのだ。
そして肝心の釣果がアジ4、5尾とか、ゴマサバ6、7尾と言ってもいったい1尾いくらになるんだと勘定し始めたところでバカバカしくなり以来プッツリと止めてしまった。
海辺の町に暮らしているのだ。
旬の新鮮な魚は簡単に安く手に入る。
費用対効果の埒外の話で、酒の肴は地元の魚屋をのぞけばより取り見取りであっという間に手に入る ♪
時間も費用も節約できるじゃないか。
残念なことに行きつけの魚屋が寄る年波で廃業してしまったのが誤算だが、最近はスーパーの鮮魚コーナーが地魚コーナーというものを用意して地物を並べたりしているので、少しは役に立っている。
自転車が漕げなくなって心身双方のためのエクササイズが出来なくなったら、白いあごひげなんぞはやして釣竿を担ぎ、近場の岸壁に出かけて再び太公望を気取る日が来るかもしれない。
出航前は胸がときめくんだよな
ライフジャケットもつけて位置に付き、竿を立てて、エサの準備もヨ~シ
こちらの岸壁にも出港を待つ遊漁船がずらり
いざ出陣 !
止まって見えるけどスクリューは回っています
こちらのフネにも大勢の釣り人が
今、ブリの子のワカシやサバ、ソーダガツオ、キスなどが釣れているらしい
遊漁船が休みの日ってのがあるらしい
こちらは遊び用ではなく、生産のための漁船のようだ 夜の操業だろうか
(写真はいずれも湘南・片瀬漁港)